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2021年1月19日ディボーション

旧約聖書:2列王記6章

『エリシャとアラム』


●1節~7節 預言者エリシャと弟子たちの日常の行動、弟子は借り物の斧をヨルダン川に落としてしまったが、エリシャに聞くと無事に戻って来た。

●8節~23節 アラム王がイスラエルに勝てない理由は預言者エリシャにあると感じ、戦車と大軍をエリシャ殺しのために進んで行ったが、エリシャの祈りによって目が見えなくなった。その結果、アラムの家来たちはイスラエルのど真ん中に居る事気が付いた。

イスラエルの王はエリシャに敵を攻撃して良いかどうかを訪ねた所、敵に盛大なおもてなしをして去らせた。

●24節~33節 アラム王はイスラエルのサマリアに大きな飢きんがあったので、軍隊を送ってサマリアの町を包囲して滅ぼそうとした。サマリヤの町の中では子供を食べる事件まで起こって、事の起こりはエリシャにあると言って彼を殺しに行った。


●教えられたこと

 私はこの聖書個所を読んでいて、神さまを無視というか考えに入れないと、そこから自分の思いしか出て来ないという事です。神が居なくて出てきた思いは、自分の思った事が一番良いと考えてしまう事です。

 確かに神さまが居なかったらの世界ですが、神はいるという考えから行動すると全く違う世界が見えてくるのです。

 エリシャは神に近かったので、神様からの事を思い伝えることが出来ました。私は一つでも多くの事を神さまに繋げて考えられるようにと願うのです。


●お祈り

天のお父様、どうかクリスチャンがエリシャのようにあなたの事を思い、主にあって良き交わりが出来ますように! そう出来ないと苦しみだらけで、神無しの思いに染まってしまいます。同じ苦しみの中にあってもそこに希望がありません。神無しよりも神有りのようになることを望んでいます。

どうして神さまの思いがイスラエルに広がらなかったのでしょうか? イスラエルに素晴らしいことが起きたのに気が付かなかったリーダーや人々が大勢だったのです。今の私たちの世界も神と人との関係は、昔と変わりません。

どうか私も含め、一人でも多くの人が神によってあなたとの関係が益々、強められますようにお祈りします。

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