2021年 8月25日 ディボーション

マタイの福音書 21章


ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高き所に。」(9節)


 ホサナ。どうか救って下さい。昨晩、私の身に縋る思いで祈らなければならない出来事が起こった。

 救って下さい、と言う意味のあるホサナ (ヘブル語ではホシヤ・ナ)当時の人々は税金の取り立てによる困窮。絶対王政による人種や宗教の迫害。様々な事に日々苦しめられていた。現代も同じではないだろうか。紛争のために自国を去らなければならない人々がいる。コロナウイルス蔓延の為に心身共に苦難の中にいる人々が沢山いる。

 自分の身に事件が起こった時に衝動的に行動するのではなく、観想的に行動すると言う事を最近学んだ(まず事件が起きたら踏み止まって心で考えて、主に聞き従ってから動く事。)。そのおかげで冷静になり、主の癒しを受ける事が出来た。

 こうやってディボーションする事も観想的な行動を習慣づける事に大いに役立っている。衝動的だった私には必須のルティーンになっている。今は私の問題などとるに足りない事だと思える。それも主なる神が私の心に愛と癒しを聖霊様によって注いでくれたから。

 主の臨在はいつも私の近くにある。ただ心静かに彼の存在を感じることができるか否か。それによって物事の見方は180度変わってくる。主を礼拝する心が私にあり、その為に心を100%主に注がなければ主の御顔を見る事は出来ないと気付かされた。全世界のために「ホサナ」と乞い求めたい。


ああ主よ、どうか救ってください。

 ああ主よ、どうか栄えさせてください。」(詩篇 118:25)


 イエス様を信じて歩む私は、私がイエス様の存在を知る以前から神に愛され導かれていた。そして信仰によって、父なる神の子とされ精霊の満たしを日々受けている。イエス様のエルサレム入場の際にホサナと唱えた人々も心から救い主イエス様を信じ喜んでいたのではないだろうか。


彼は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大河から地の果てに至る。」(ゼカリヤ9:10)


 神に選ばれ、平和は地の果てにまで至ると創造主の主が語られる。どうしてその言葉を忘れて心動かされるのか。それはすぐに心が折れてしまう私の心の性質。そんな私をも愛して、離さずにいてくださる神を感謝し賛美せずにはいられない。朝も夜も主を賛美したい。アーメン。



閲覧数:31回

最新記事

すべて表示

マタイの福音書 28章 「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(20節) イエス様がお生まれになってから2021年。極東アジアと言われる日本にもイエス様の教えがとどき、たとえ”1%しかイエス様の教えを信じるものがいない日本”と言われていても私には沢山の望みがある。 同じように1%に満たないクリスチャンしかいない国がある。アフガニスタン・イスラム共和国。2001年、厳格な

マタイの福音書27章 「ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことを知っていたのである。」18節 私は以前、子どもたちのサンデースクールのために、メッセージの準備をしていた。イエス様の十字架からというテーマで、ちょうどその日、私はこのマタイ福音書を開いていた。そして、この27章18節、上記のみことばが衝撃とともに、私の目に留まった。 イエス様が十字架に引き渡されたのは、人々の「ねたみ」ゆえだ

マタイの福音書26章 『罪から離れてイエスのもとに帰る』 26章はイエスが十字架にかかる前日、つまり木曜日の模様が細かに描かれている。最後の晩餐となる過越の食事は、木曜日の日没に持たれた。この晩餐の箇所から、聖餐式を行う目的とその理由を学ぶことができる。聖餐式の目的は、十字架に捧げられたイエスのいのち(パン)、死(ぶどう酒)、そして復活による臨在(式そのもの)を思い出し、記念するためであり、聖餐式