2021年7月5日 ディボーション

ヨブ記12章


『信仰の見直し』


 12章は、ヨブからナアマ人ツォファルへの反論である。ここに来て、非常に辛辣である。「あなたのその知恵など、あなたが死ねば一緒に死んでしまうものである」に始まり、ツォファルの言い分に対して「そんなことなど、知らない人はいない」と、非常に厳しい。自然界を見ても、そこに成せる神の御業のすべてを理解することはできない。しかし、すべては神が決定したこと、誰が逆らえるというのか、ということである。

 神の偉大なる力による御業、というと非常に素晴らしいものを想像させる。しかし、神がいるならなぜこのようなことが、ということが起きる。そしてその答えをいくら神に問うても、答えはない。神がご自分の主権によって成す御業について、なぜ人間に申し開きをしてくれるだろうか。そのような、不条理きわまりない状態にあっても「知恵と力は神とともにあり、思慮と英知も神のものなのだ」(13節)と語るヨブの信仰こそ、神は喜んでおられるのではないだろうか。


「安らかだと思っている者はわざわいを侮る。わざわいは、足がよろめく者に用意されている」(5節)


 これは、自分のほうが神をよく知っていると過信するツォファルに対するヨブの言葉であるが、私はこの箇所から、信仰の見直しをする、という気づきが与えられた。日々聖書を読み、祈り、感謝し、教会で奉仕をし、それで大丈夫と安心している信仰生活ではないだろうか。ヨブのように、富も家族も、健康さえも取り上げられて、それでも、神のなさることはすべて正しい、と言うことができるだろうか。私には弱いところがたくさんある。その弱い部分に少しでも触れられたなら、たちまち不安になって、神を呼び求めるどころか、解決方法を自分で見つけようとして、右往左往してしまう者である。私には、ヨブほどの信仰はない。しかし、ヨブも私も同じ神を信じている。ならばその神は、私のような者にも必ず、ヨブと同じ信仰を与えてくださるのではないだろうか。


「使徒たちは主に言った。「私たちの信仰を増し加えてください。」すると主は言われた。「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があれば、この桑の木に『根元から抜かれて、海の中に植われ』と言うなら、あなたがたに従います」(ルカ17:5〜6)


祈り:

 生涯かけて、聖くし続けていただける救いに預かりましたことを、心から感謝いたします。からし種ほどの信仰を尊んでくださり、ありがとうございます。弱さを愛してくださり、ありがとうございます。どのような時も、感謝の心が与えられますように。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。


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