旧約聖書:士師記2章
「世の中を生きる」
イスラエルの民は、ヨルダン川を渡り、神さまが約束されたカナンの地に入りました。神さまはイスラエルの民との契約を守りましたが、今度はイスラエルの民が神さまの言われたとおりに歩むかどうか知ろうとされました。
ヨシュアと共に生きた人たちは、7節に書いてある通りに長老たちはしっかりと主に使えました。
次にイスラエルの民は歴史も知らない、主を知らない子孫たちにバトンタッチされました。そうした時に、イスラエルの子孫たちはエジプトの地から父祖を導き出した神を捨てて、他の神々を信じたというのです。そこから新しい世代の新しい歴史、士師記が始まります。
●教えられたこと
イスラエルの民にとって大事なことは生涯、神さまの愛は子孫に対しても変わらないという約束があります。
自分だけ信じれば良い神では無いのです。子々孫々伝えていかなければならない事を教えています。それでは父祖がちゃんと教えを伝えていなかったのかというと、そうではないようです。子孫には、しっかりとその事を思い出し、学ぶためにさばきつかさが与えられというのです。
さばきつかさというと裁きという不幸を持ってくるように思われますが、本当は現在の呪いの人生から祝福の人生に変わる事を神は期待されておられたのです。
ところがさばきつかさが居なくなると今まで以上にホッとして堕落して、他の神々を拝んだのです。それゆえにイスラエルの民は生涯、祝福から離れてしまうのです。
そう読んでいくと、これはイスラエルの民だけの人生なのでしょうか? 私たちはイエス様を信じて「神の子」という特権が与えられます。愛の人生を生きる事になります。自分にとって都合の良い事は受け入れられるけれど、自分にとって辛い事が起こると神から離れてしまう?
この士師記は、その事に対して、ちょっと待て、神に繋がる事は祝福に繋がるという事を教えようとされたのです。わざわざこんな歴史を未来の人には残さないでも良いものです。
私たちはイスラエルの民のようになる前に静まって、神さまの心を知ろうと問われているのです。
●お祈り
天のお父様、今日も聖書の御言葉を感謝します。あなたが十字架の愛で私を、また私たちを救ってくださったからあなたと繋がる事が出来ました。主よ、感謝します。
今は先が見えない時代のど真ん中です。しかし、御言葉を通し何が大事なのか教えて下さったような気がします。あなたは何を望んでおられますか?
私はさばきつかさを望みませんが、それが私に、私たちにとって大事なのならば何をすれば良いのかを教えて下さい。気付かせて下さい。あなたの十字架の愛をもっと自分のものに出来るように助けて下さい。そしてあなたの光を知り、輝き照らす者として下さい。お願いします。
イエス様の御名によりお祈り致します。 アーメン
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