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2020年9月27日ディボーション

ヨハネの福音書 15章1-11節


15:1 わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。 15:2 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。 15:3 あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。 15:4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。 15:5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。 15:6 だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。 15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。 15:8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。 15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。 15:10 もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。 15:11 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。

*木(イエス様)は一つ、枝(信じる者)は沢山、ぶどうの木は、まさに教会を表している。 1節、5節に書かれている農夫(天の父)が枝(信じる者)がもっと多く実を結ぶために刈込(剪定)してくださる。刈込をしてくださる天の父のもとにとどまっていよう。考えさせらること1:

イエスさまという木に繋がっていなかったら?

兄弟姉妹との出会いはない。神の家族との出会いや繋がりは、イエス様と繋がっているからこそ与えられるもの。そしてイエス様という木を通して、私たちは兄弟姉妹のために祈ることが出来る。


考えさせらること2:

枝が実を結ぶように、天の父が刈り込みをしてくれる。神さまが取り扱ってくれる。神さまに取り扱ってくださるということは、日々御言葉を通してイエス様にとどまるからこその恵み。

Apply:

この時期、特に今の状況の中、まず御言葉を通してイエス様に日々繋がる。そして兄弟姉妹と繋がれている喜びを噛みしめる。Stay Home中、御言葉を通して神様に剪定してもらい、やがて大きな実を結ばせてもらう。それが教会で起こることを主に期待し、共に礼拝出来る日を待ち望もう。

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