ヨシュア 11章
今朝のデボーションで心に示されたことは、
ヨシュアの絶対的な神への従順さは、神がイスラエルのために戦っておられることに対して力強い信頼感がもてたのだとおもう。人をばんばん切り殺していく光景は想像を絶するものがある。神の命令だからこそできることだと思う。
でも、神様は私達をこの世に生を与えられたのは人と人が殺し合う為の目的ではないとよくわかる。だがどうして人々が容赦なくバッサ、バッサと血を流して死ななければならなかったのだろうか。言えることは、ただ神に祈り神の御声にだけ忠実に従っていかなかったことではなかったかと思う。旧約時代に起こったことを通して、神様は私達にみさせて、考えさせてくださったことだと思う。それは常にどんな時にも神に祈り神を信頼して求めていくことだと思うことが今日もしめされた。
今朝の牧人牧師のメッセージにあったように、祈りは何時でも何処でも誰とでもできるということ。私は朝のデボーションが用事があって出来ない時は動きながら[主の祈り]を口ずさんでいる。
祈り
愛する天の父なる神様、あなたの御名をほめたたえます。
祈ること。どんな時にも祈ることができるように助けて下さい。
今日の御言葉を心から感謝します。イエス様の御名によっていのります。
アーメン。
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