申命記24章
この章で、神様はイスラエルの民にエジプトの地で奴隷であったことを覚えていなければならない。と仰せられました。それは、神様がいろんなことをお命じになられるためだといわれている。たくさんの神様の掟が述べられています。あのエジプトでの辛いことを覚えて、その苦しみを自分の為に他者を思いやれる心を忘れてはいけない。苦しみのなかに信仰の成長、恵みが増し加わるものと思う。神様はその苦しみの中から得た経験はきっと他者の為に役立てられるように御計画されておられると思う。私達肉の人間は、のろもとすぎれば暑さを忘れる人間です。得に私自身がそうです。その為にも私にとって神様はこの上ない必要不可欠な方である。私は弱い者で神様がいないと何にもできない。
申命記にある[覚えていなければならない]、こととイザヤ書にある[思いださない]、とのこの言葉が脳裏に焼き付いてきた。
イザヤ書43:25 [わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたの背きの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思いださない.] この箇所が目にせまってきて私は洗礼を受ける決心をさせて頂きました。
神様は、私の罪を神様ご自身の為に思い出さないと語られた。人間だとそんなことは決してできないことと思う。
申命記では、エジプトで奴隷であったことを覚えていなければならないと語られた。この違いは、私なりに語られたことは、契約と掟の違いだと思わされた。そのようなおこがましい契約などという言葉を書いていいものかわかりませんけれども、[神様は実によいお方]であられ、[慈しみ深い愛のあるお方]です。感謝です。
祈り
神様すべて感謝します。
自分がおってきた苦しみ、悲しみは全て神様の御計画の内にあったのですね。私達はその苦難のなかからあなたとの深い関係へと修復されることを教えて下さっていることを感謝します。どんな時でも、[主はよいおかた、主の愛はとこしえまでも]であることを心に刻んでいきたいと思います。
感謝して主イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。
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