申命記17章 15節−20節 民の王になるものは神が選ばれる者でなければらない。
語られた事。
コロナウイルスが世界中に蔓延して、すでに半年異常が過ぎている。そんな時に、ここアメリ カの地では大統領選挙。日本でも都知事選挙、、、などなど。世界中で任期を満了して新たな リーダーが選ばれる時となっている。これも主の御心ではないだろうか。 究極の選択を迫られる時、人は本性を表す。 そんな時に人が何を規範に過ごしているかが見えてくる。 昔、私が貧困の中にあった時、血の繋がった家族は手を差し伸べてくれなかった。 自分たちの生活で精一杯、と言うのが彼らの言い訳だったと思う。 でもそんな時にクリスチャンの友達は二つ返事で助けてくれた。 まさしく、ルカの福音書10章27節にある主の掟を実践した実際の私の友人の話です。 そんな人が私たちのリーダに立つべきではないだろうか。 自分の私利私欲、利権。神様はそれを重んじろと言ったのだろうか。 いや違う。他人を隣人のように愛する事が神様の第一の掟のはずである。 19節にあるように、選ばれしものは、日々、主の言葉に耳を傾け、律法を学ぶと共に、神を 畏れる事を学ぶ必要がある。 モーセが率いる民は40年間、神の律法と共に生活し訓練された民であった。 私たちもモーセの民のように訓練された民となれるよう日々の精進が必要だと思う。 そのためにはリーダはもちろん、私たちも日々聖書に触れて気づかされる事、思い出す事が必 要だと思った。 世界中でそのような人々が増え、その中から私たちの次のリーダーが生まれる事を神様も望ま れているのではないだろうか。
応答
主よ、リーダーを選ぶ事は私たちに対するあなたのチャレンジです。私たちが間違った判断を 下さず、次のリーダーがモーセのようにあなたに従順な人が選ばれますよう祈ります。また リーダーを取り囲む助け人もレビ人のように主の教えに忠実である人が選ばれますよう心から 祈ります。
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