担当:夏実さん
申命記17章2〜6節
石打ちのさばき
語られたこと
主の目に悪であることを行い、主の契約を破ったら、よく調査した上で悪さが事実であるなら、その人を石打ちの死刑にしなさいと申命記17章のモーセは説きます。
私はとっさに「でもさ〜」と、ヨハネの中の、姦淫の女を石打ちにしようとするパリサイ人のできごとを思いました(ヨハネ8:3〜11)。
イエスさまが「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい」と言うと、誰も石を投げずに去っていった箇所です。
私たちはさばいてはならない、さばくんだったらイエスさまが真実のさばきをしてくれるんだ……と。
改めてヨハネの聖書箇所を読み直すと、その続きに「私は世の光です」と、今週の礼拝で取り上げた、詩篇119:105「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」に共通するみことばがありました。
そしてイエスさまはさらに「あなたがたの律法にも、二人の証しは真実であると書かれています(ヨハネ8:17)」
さすがイエスさま! モーセの教えをとっくにご存知(申命記17:6)。
イスラエルの民さんも、イエスさまの福音で旧約を読むと、赦されて救われて、とっても楽になれるのにな。
黙想
そんな優等生的なことを言っても、肉の私は批判的な意見を持ったり、上から目線で物事を見ることがあります。そのくせ誰か悪いことをしても、見て見ぬ振りをしてしまったり。みことばを実践していないのは私の方です。みことば(みこころ)は、成し得てこそ身につくと、今一度かみしめます。
祈り
愛する天のお父さま、あなたは良いお方、善にして善を行われる方。私をどうか、光の子らしく、あなたに倣う者となれますよう導いてください。あなたのみことばどおりに、私を支え生かしてください。イエスさまのお名前で感謝して祈ります。
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