旧約聖書:2サムエル記18章
アブサロムによるクーデターの出来事は、手に汗握るスリリングな展開が続く。数人の部下たちは、ダビデの意向を受けてアブサロム側についたように見せかけ、敵の策を探りダビデに有利なように事を運んでいく。ダビデに情報を伝えるために井戸の中に隠れる様子は、読んでいてドキドキする。
そして、とうとう決戦の時がやってきた。ダビデ側が大勝利を収めたが、アブサロムは将軍ヨアブに殺されてしまう。ダビデは勝利した喜びよりも、アブサロムを失った悲しみの方が大きかった。
「我が子、アブサロムよ、ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに」(18:33)
と、息子の死を嘆いたのだ。
このダビデの嘆きは、兵士たちの士気を大きく挫くことになった。将軍ヨアブの進言がなければどうなっていたことだろうか。(19:6,7)
ダビデは、正しく子どもたちを治めることはできなかったようだ。彼は戦士であって家庭人ではない。ましてや当時、側女が多くいる時代においては、現代の家庭環境とはかなりの違いがあるだろう。
しかし、だからと言って父親の子どもに対する役割が変わったわけではない。それは時代が違っても同じである。父親は、神の正義と愛をもって子どもを訓育しなければならない。
ダビデが、息子アブサロムに謀反を起こされ、そして息子を失うということは、彼のバテ・シェバにおける罪の一つの刈り取りでもある。一つの過ちが、その家族、子どもたちに影響を与えていくことは今も昔も変わらない。
しかし、それでもなお神はダビデを見捨てることはない。このダビデの末から、救い主が誕生するのである。
語られたこと
家庭崩壊ということがもたらす負の影響を見せられた。しかし、それでもなお見捨てにはならない、主の契約の確かさを想う。
祈り
天の父よ。私たちが、過ちを犯すことのないように守ってください。悪から遠ざけてください。しかし、どんな時でもあなたの真実に信頼して歩んでいくことができますように助け導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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