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2020年11月8日ディボーション

旧約聖書 サムエル記第一 28章

「主が沈黙する時」

「サウルは主に伺ったが、主は夢にもよっても、ウリムによっても、預言者によってもお答えにならなかった。」6節


●学んだ事。

 人間関係において「沈黙」ほど不可解な事はない。相手が何を考えているのかわからないと言う状況は自分の心の中でどんどん負のサイクルを作り出し、自分で処理しきれないような精神状態にまで陥ってします。まさにこの章で紹介されるサウルの状況である。

 サウルはこれまで、数々の過ちを犯してきた。過ちを起こしたのは肉なるサウルが神と対話する事なく様々な事を行った結果である。さらにサウルは禁止していた霊媒を探し出し、サムエルの霊まで呼び出してしまう。「ワラをもつかむ思い」だったのだろう。しかしそれはただ罪を重ねる事以外の何物でもなかった。

 「沈黙」と言う遠藤周作さんの名作がある。江戸時代初期、キリシタン弾圧の日本。ポルトガル人司祭の目を通した日本の内政下で起こる様々な事件とその時々に繰り広げられる彼の祈り。神との対話を求めるが、タイトルにもあるように神様はモーセやサムエルに語られるように主人公には語らない。しかし主が語られないのは私たちを嫌いだからではない。私たちの耳が開かれていない事が原因の一つに挙げられると思う。サウルにも「沈黙の」主人公にも神様はそれまで語った事を思い出して欲しかったのではないだろうか。主は自分たちに気付ける人になって欲しかったのではないだろうか。主が私たちの成長を願う愛だったのではないだろうか。

 言葉を使う事は簡単に相手に思いを伝える事ができる。しかし時と場合によっては自分で考えるチャンス、学ぶチャンスを人から奪う事になる。ハワイでよく見かける風景に地図を片手にして道にとどまる観光客がある。昔は積極的に手伝っていたが、最近は様子を伺ってお手伝いするべきか否か思案してからにしている。若い人には自分で積極的に学んでほしい。神様が私たちに学びの時をくださった時、それは私たちが自分で解決できると主が安心して任せてくださっている時。しかし解決の只中には常に神様、イエス様がいて一緒に考えてくださる事を忘れてはいけないと思った。


●祈り。

 天の父なる神様。今日もあなたの御心の気づきをありがとうございます。困難にあって、貴方に問いかけても答えが見出されない時。それは私が自分を振り返る絶好のチャンスです。その事に気づかされた事も貴方の愛です。感謝です。どうぞこれからも見守っていてください。主、イエスキリストの御名を通して御前にお捧げいたします。アーメン。

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