神を神として生きる(サムエル記第一26章)
目の前にいるのは、私(ダビデ)を殺そうと謀り、私(ダビデ)を逃避行へと追いやったあのサウルだ。そもそも一方的に憎悪を抱かれ、命からがら今日まで何とか生き延びてきた。
私(ダビデ)にとっても、正直、常識的に考えれば目の前に立つ男は、あの憎き相手サウルだ。
しかし、彼(ダビデ)は、そんなサウルを前にこう言い放つ。
「主は一人ひとりに、その人の正しさと真実に応じて報いてくださいます。主は今日、あなたを私の手に渡されましたが、私は、主に油注がれた方に、この手を下したくはありませんでした。
今日、私があなたのいのちを大切にしたように、主は私のいのちを大切にして、すべての苦難から私を救い出してくださいます。」26章23~24節
主が一人ひとりに応じて、ちゃんと報いてくださる。
あくまでも、このいのちの主権は神にある。
それはサウルにとっても、ダビデにとっても同じことだ。
神を神とし、その主権にサウルのことも、自分自身をも委ねていく。
神を畏れ、神に絶対的な信頼を置き、神の御前を歩むダビデの姿から今朝は語られ、教えられた。
応答
天のお父様、
あなたは一人ひとりに応じて、ちゃんと報いてくださる神です。ダビデのように、まずあなたを神とし畏れ、あなたの道から逸れることなく踏み行くことができるように、いつも私を見張り導いてください。アーメン。
Comentários