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2020年11月30日ディボーション

旧約聖書 サムエル記第二 15章

『ダビデ、泣きながら悔い改める』


26節「もし主が『あなたはわたしの心にかなわない』と言われるなら、どうか、主が良いと思われることをこの私にしてくださるように」


●学んだこと、感じたこと

 世の中様々な人がいる。その中でも人の助言に耳を開く人とそうでない人がいる。後者はダビデのように、痛い目に遭わないと自分が犯した罪に気がつかない。私もかつてはそうだった。 ダビデの子アブサロムがクーデター(仏:coupd’ _Etat)を起こす。

 クーデターとは一般的に暴力的な手段によって引き起こされる政変を言う。戦車、馬、軍人を準備したりして(15:1)どう考えてもきな臭い行動である。ダビデもヨアブもなぜ、ことが大きくなる前に止める算段をしなかったのか? 主に祈らなかったのか? せっかく和解したのに、とても残念である。

 結局ダビデは政権を追われて逃げる事になるが、ここに二人のリーダーの大きな違いが表現されている。

 アブサロムは「誰か私をこの国のさばき人に立ててくれないだろうか」(15:4)と言っているが、「さばきつかさ」とは『士師』のことであり、モーセやヨシュアのように神様から任命される、人と神様の間を取り持つ橋渡しの存在でもある。それなのに、「誰か俺を選んでよ!」なんて軽薄極まりない。アブサロムの教育係は何をしていたのか? ダビデは教えなかったのか? それとも、アブサロムが聞いていなかったのか?とにかくアブサロムは大きな勘違いをしている。

 それに対してダビデ。泣きながら民と共にイスラエルを逃げ出す。悔しかったと思う。しかしどん底に落ちた時、我に帰ったのだと思う。「主が良いと思われることをこの私にしてくださるように」(26節)と祈っている。ダビデ、痛い目に遭わないと悟れないタイプだったようだ。姦淫の罪の故にこのような事態を招いたのは自業自得かもしれない。しかしそんなダビデでさえ、主は彼の悔い改めの心を聞いてくださる。神様にとっては放蕩息子のダビデが父のもとに帰ってきた瞬間だったのであろう。なんと寛大なお方か。罪人である私には素晴らしい希望が見える箇所である。


●祈り

 天の父なる神様。あなたの教えを何年学んでも罪を犯す愚か者です。申し訳ありません。しかし罪を犯してもきちんと打ち明けられる主なる父がいると言うことは、私にとって最大の恵です。罪を犯して、悩んだ時、私はあなたの元に帰ります。どうずれば良いか。ダビデのように尋ねます。だからどうかいつも私を導いてください。そしてどれが貴方の目に叶う道かを示してください。

 イエス様の御名によって御前におささげいたします。アーメン。

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