top of page

2020年11月18日ディボーション

hccnichigo

サムエル記 第二 3章


 王は自分の家来たちに言った。

「この私は油注がれた王であるが、今日の私は無力だ。ツエルヤの子であるこれらの者たちは、私にとっては手ごわすぎる。主が、悪を行うものに、その悪にしたがって報いてくださるように。」 3:38~39


語られたこと

 サウル家とダビデの長い戦いの中においても、主はダビデと共におられてダビデはますます強くなる。一方のサウル家はますます弱くなっていく。

 主は、約束されたことは必ず成就して下さるお方である。神に油注がれたダビデは、どんな時にも、主からの守りと祝福がある。それは、ダビデ自身が主に正直で、主に伺い、主に絶対的に従い、主に近づいていくからではないだろうか。主だけではなく、大切な人に対しても寛容さがみられる。

 サムエルの息子のアブネルが死んだ時はダビデはアブネルを丁寧に葬り、そこで声を上げて泣き、さらにアブネルのために哀歌を歌った。この章でしめされたことは、ダビデ自身が家来達に正直に語ったこと、つまり、「弱さの中に神ご自身が働いて下さる。」ということを知らせたかったのではないかと思う。できないことは素直に認めて、主にすべてを委ねていける、ダビデのようになりたい者でありたい。


祈り

 天のお父様、今日の聖書のみことばを示して下さってありがとうございます。

ダビデのように、できないことはできない、と素直にあなたに明け渡していくことができるように助けて下さい。あなたにもっと、もっと近づいていき、又、あなたを感じることができますようにお導き下さい。

 感謝して主イエスキリストの御名によってお祈りします。 アーメン

閲覧数:16回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2024年7月9日 サムエル記第二24章

『人口調査』 せっかくのサムエル記最後の章ですが、理解に苦しむ章でもあります。ダビデが人口調査をするのですが、それが主の怒りであると記されている1節ですでに、分からずに悩んでしまいます。なぜイスラエルとユダの人口を数える事が、主の怒りにふれるのか。考えながらこの章を読んでみ...

2024年7月8日 サムエル記第二23章

23章はダビデの最後の歌だと言われています。 詩編150篇のうちダビデが作ったのは73篇もしくはそれ以上だったと言われているそうです。どのようにして詩編の半分以上の歌がダビデに与えられたのでしょうか。それは、2節に語られていることそのものです。「主の霊は私を通して語り、その...

2024年7月7日 サムエル記第二22章

22章はダビデが主によってすべての敵、サウルの手から救われた日に主に歌ったもので、詩編18篇にも同じことが書かれています。 このダビデの賛歌を読んでいて、これだけの素晴らしい賛歌ができたのは、ダビデが苦難の道を通ってきて祈りそして信仰の深みにはいることができたからだと思いま...

Comentarios


bottom of page