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2020年10月9日ディボーション

ヨハネの福音書21章

『さぁ、朝の食事をしなさい』

イエス様が十字架にかけられた後、再び湖畔でイエス様が弟子たちの前に現れた場面。

元漁師だったペテロは、きっと色々な感情を抱え、再び漁に出た。一晩中、他の弟子たちと試みたものの、何も取れなかった。

途方に暮れ、唯一自信のあった漁でさえ何も収穫はなく、空虚感に襲われながらも、夜の静かな寂しいときを過ごしたペテロたち。イエス様と一緒に舟に乗って大漁だった奇跡の出来事や、イエス様を3度も知らないと裏切ってしまったこと、自分には何もない…この先どう生きていけばいいのか…そのような気持ちであったかもしれない。

そんなとき、再び声が。主のことば通りにすると大漁の魚が。

そして、暗闇から光へと朝明けと共に、イエス様が弟子たちの為に美味しい焼き魚を焼いて、用意してくれた手作りの朝ごはん。

ペコペコのお腹と空虚感を抱えた心と疲れた身体に、イエス様の優しさはどれだけ染み渡るほどの満たしがあっただろう。

主の愛の優しさ。”これを食べて元気をつけなさい”と、母のようないつくしみ深い愛情。そして、主によって再び信仰を強められ、召しと共に、遣わされたペテロ。


ヨハネの福音書 21章

12, イエスは彼らに言われた。「さあ、朝の食事をしなさい。」弟子たちは、主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか」とあえて尋ねはしなかった。

13,イエスは来てパンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。

イエス様は、本当にすごく優しいお方。

泣きたいほどにツライときに、母が作ってくれた手作りの温かい晩ご飯を食べながら、涙がホロホロと流れた学生時代の光景を思い出しました。

イエス様の手作りの朝ごはんは、ペテロにとってもそれほどの愛の味だったに違いない。


愛されているといる安心感があって、受け止めてくれる存在や居場所があって初めて、私は安心して冒険が出来る。チャレンジが出来る。召を受けて、勇気を持って歩み出すことが出来る。

イエス様という居場所、ホノルル教会という家族、愛する私の家族や友人がいてくれるからこそ、私は私らしく安心して前に進むことが出来る。そのことに気づけたこの朝を、感謝します。


*お祈り

愛する天の神様。イエス様、あなたのいつくしみ深い愛と優しさをありがとうございます。あなたのことばによって、あなたの与えて下さった家族を通して、主の愛と安心を得ました。そして、こんな小さな私にも、あなたは神様の御国、御心のための大切な役目を与えて下さいました。ここから、また主と共に歩むことが出来ますように。



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