2020年10月28日ディボーション
- hccnichigo
- 2020年10月28日
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サムエル記 第一 17章、18章
「万軍の主の御名によってお前に立ち向かう」17:45
語られたこと
いろんな武具を身に着けたゴリアテに対抗するダビデは、石と杖だけを持って勝利をする。石だけで人に勝利することは稀にあるかもしれないけれど、それは絶対的にそうなるとは言えないと思う。ダビデがそこに勝利をもたらすことができたのは、万軍の主の御名によって立ち向かうことができたからである。ダビデがどうしてそこまでできたのかと思った時に語られたことは、神を信じ、神に絶対的な信頼を委ねて、神を自分の前においたからだと。
又、ダビデは、この戦いは、主の戦いだ。と強調して語るところは、ダビデの神への謙遜さを思わされた。
そのダビデの信仰に神の臨在があることを知ったヨナタンは、ダビデを自分自身のように愛したのだと示された。
ダビデの働きが次々と勝利をもたらすのを知ったサウルはダビデに対して、恐れ、妬み、憎悪が増し加わる。それは、ダビデの中に神がおられることを知っていたから。サウルはかっては、自分も神からの権威が与えられた。そして、自分の失敗でその権威が取り除かれてしまった。
神の権威を取り除かれたのは、自分のやったことに対しての神の裁きであるのに、神に悔い改めようとしないで、目に見えるものを追いかけ、人を苦しめ自分自身が神に背をむけて、神から離れようとしていく光景を見せつけられる思いである。
でも、神はサウルの悔いた、砕かれた魂の改心をずっと待ち続けておられていたと思う。なぜなら、神は愛のお方だから。私達は、肉の人間だから、ついサウルのように昔を回想して人が自分よりいろんな物質的に満たされて豊かな生活をしているのを見ると心が悪いほうに揺り動かせられることがある。その時に、主の御名によってそういう事を自分自身が他者の為に祈れる心、祝福できる心を持てることができるような者に変えられたい。これが、イエス様の十字架の愛だから。
祈り
ハレルヤ!愛する天の父なる神様、あなたの御名を心から褒めたたえます。
今日もデボーションの中であなたの御声にふれさせて下さって感謝します。
毎日のデボーションの中で、いつもイエス様の十字架の愛に近づける幸いを感謝します。
私も日々、時にはサウルのような失敗もします。でも、私達は失敗してもイエス様の御名によって悔い改め、赦される特権を与えられていることを
心から感謝します。
感謝して主イエスキリストの御名によって祈ります。 アーメン
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