サムエル記 第一 11章
イスラエルの初代の王であるサウルの物語である。10章において、サムエルを通してサウルが王として選ばれたが、それまで王制ではなかったので、王宮も側近も軍隊もまだ何も整備されていない状況であったようだ。この11章は、サウル王にとっての最初の戦いになるが、まだこの時は「牛を追っていた」(5)と記されている。
この最初の戦いで大勝利を収めたことで、サウルは人心を掌握し、正式に王制が樹立され、サウルは王として即位することになった。(14,15)
「サウルとイスラエルのすべての者は、そこで大いに喜んだ」(15)と記されているように、長年王様を求めて来た民にとって、しかも敵に勝利したことで、喜びも特別なものであったことだろう。
サウルは、「美しい若者で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった。彼は民の誰よりも、肩から上だけ高かった。」(9:2)という外見であったが、性格的には内気で弱かったようだ。王として選ばれたとき、彼は「荷物の間に隠れている」(10:22)という始末であった。
また、初代ということだから、王の子として帝王学を学んだわけでもないし、模範とすべき王様のモデルもいなかった。
サウルは、資質としては王には向いていないように思える。しかし、その彼を“神が選んだ”のだ。
神の選びとは、人間の目から見て「この人こそ」と思えるような人ではなく、「えっ!この人が?」と思われるような人をあえて選ぶことがある。それは、神の栄光と恵みを現わすためだ。
この後サウルは、神に聴き従わないことによって神から退けられ、サウルの家は没落していく。なんとも辛い歴史だ。
しかし、そのようになってしまった原因は、サウルの人間として資質の問題ではなく、神に対する姿勢の問題なのだ。どんなにサウルに弱さ、足りなさがあったとしても、だからこそ、神に拠り頼むのであれば、神はいくらでも祝福を注いでくださったことだろう。
語られたこと
「えっ、どうして私が?」と思えるような選び、使命が自分に与えられることがある。確かに、資質として相応しくないかもしれない。しかし神は、あえてそのような「取るに足りない者」を選ばれるのだ。それは、だからこそ自分自身が神に拠り頼む者となり、神の恵みが満ちあふれるためなのだ。
祈り
天の父よ。私が自分の資質や能力に拠り頼むのではなく、選んでくださった神に拠り頼むことができますように導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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