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2020年10月2日ディボーション

第二コリント12章

弱さのうちに完全に現れる神の力

自分の弱さをまざまざと知るとき、自分の無力さに落胆し落ち込むことがあります。でもその後で、自分の弱さを受け入れることが出来たとき、神様の寄り添う愛と恵みに気付くのだと思います。

ありのままの弱い自分を受け入れることは、悲しみや怒りや葛藤がありますが、乗り越えたとき、不思議と安心が与えられるのは、なぜでしょうか。

わたし自身の力と行いによって、様々なものを築き上げて、今のわたしがあるように思ってしまう高慢な想い。またそれによって、自らをDoingによる働きをしなければ、神様に人に愛されないというような間違った思考を気付かない内に積み上げている…。

だから神様は、何度も何度も、弱さをもって、このみことばを通してわたしに語りかけておられるのだと。


[コリント人への手紙 第二 12:9,10]

しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。


無力さの中にいるからこそ、それが”神様の御業であること”を私たちが、周りにいる人たちが知ることが出来ます。そして主を褒めたたえずにはいられません。主と共に歩み、主に仕えるとは、そういうことなのではないかと学びました。


*お祈り

愛する天の父なる神様。

あなたの偉大なる存在に守られていることを覚え、感謝します。

“何が出来ても出来なくても、何を得ても失っても、ただ愛されてる天の父に、わたしは神の子。”

この主の真実な愛を感謝します。

パウロのように、主の愛に包まれて、自分の弱さを誇りましょう。とあるように、神様の恵みを十分に与えられていることに感謝し、安心して、共に主の御業を見る者とさせてください。

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