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2020年10月1日ディボーション

ルツ記 4章 


 ルツ記は、暗黒の士師の時代にあって、そこにも希望の光はあるということを示してくれる。聖書の書かれた目的は、イエスがキリスト(救い主)であることを示すためである。このルツ記の中にも、そのことが示されている。

 *買い戻しの権利、これは「贖い」とも訳せる言葉だ。ボアズがナオミの土地を買い戻したのだが、ボアズ側には何の利益もない、そればかりかすべてを失うリスクもある。ボアズの行為は、見返りを求めない、ただ一方的に与える愛なのだ。これは、イエスの十字架の贖いを指し示している。

 *14節「その子の名がイスラエルで打ち立てられますように。」この言葉は、やがてイスラエルから贖い主(救い主)が誕生するという預言になっている。

 *18節以降の系図。これがルツ記のクライマックスだ。ルツの子孫からダビデ、そしてイエスが誕生するのだ。しかも、ルツは、異邦人である。マタイが1章5節で、系図にわざわざルツの名前を記したことには意味がある。イエスによる救いは、ユダヤ人だけではなく、全人類に及ぶということが、ここに示されているのだ。


語られたこと

 ルツ記は、ただ読んだだけでは、韓流ドラマのような感動的な家族の物語に感じる。しかし、聖書は、ただの“感動的な物語”ではない。その物語をよーく見ると、そこにはイエスが救い主であること、その意味の深さが見えてくる。特に、異邦人である自分が、今こうして救われている事が、まさにこの系図の意味するところだと思うと、このルツ記が自分にとって、さらに身近なものとなる。そこに感動するのだ。

 私も、普段の生活の中で見える出来事の中に、神の計画、神の御心、イエスの臨在を見い出せる者でありたい。 


祈り

 天の父よ。異邦人である私が、イエスによって神の救いにあずかっている、この恵みを感謝します。すべての出来事の中に、神の計画、御心、そして臨在を見出せる者でありますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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