- hccnichigo
- 5月9日
『共にいて下さる主』
何処の世にも遺産相続、家督継承などの問題があるものだ。詩篇が書かれた時代背景は、ダビデ王が自分の息子に命を狙われるという大変な苦難の
中で書かれたという。日本を含むアジアの戦国時代や古代エジプトの歴史に似ている。権力者は政略結婚、血筋を守るために異母兄妹での婚姻、何人もの妻を娶り、異母兄弟がたくさんいる。諍いが起こるのは目に見えている。
このような苦難の中にあっても神を信頼し、話しかけ、問いかけ、祈り続けるダビデの姿勢に感銘を受ける。
1節「私が呼ぶとき 答えてください。私の義なる神。追い詰められたとき、あなたは私を解き放ってくださいました。私をあわれみ私の祈りを聞いてください。」
この「解き放ってくださいました」で、この時が初めてではないことがわかる。神様は私をも何度も救って下さったので感謝して同感する。
2節「2人の子たちよ いつまで私の栄光を辱め空しいものを愛し偽りを慕い求めるのか。セラ」
この「セラ」という言葉は詩篇に71回も登場する。意味は不明だが、音楽符号と考えられている。ヘブル語で、休止符(黙想、回想の時)の意味や、ストーリーのまたはミュージックのトーンが変わる時に使われるという。
3節「知れ。主はご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき 主は聞いてくださる。」
私も時々心の中で叫び神様に呼びかける。応答が感じられない時が多くあり、不安に襲われるの。そして祈る。「私はあなたと共にいる」が頭に浮かんできて平安を得る。この繰り返しが多い。
「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28:20 JDB)
これは聖書に書かれているので真実である。
天の父なる神様
私たち人間では感覚の限りがあるのか、あなたが共にいると感じられない時があります。あなたがいつも共にいることは聖書の約束なので感謝です。そして、私たちクリスチャンは祈ることができる。御子イエス・キリストの名により感謝を込めて、それぞれに平安がありますように祈ります。アーメン
文: マッカーター政子

