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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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『神の義を求める』


 この7編は、ダビデが誤解されて、危険にさらされている時に、神の義を求めた詩のようです。 冒頭にダビデがクシュというベニヤミン人について主に歌ったシガヨンとありますが、クシュが誰のことなのか、聖書に説明がありません。 サウル王はベニヤミン族でクシュ出身でしたから、彼自身もしくは、サウル王の下にいる人でダビデを迫害した者だろうと想像しますが、正確には解らないのです。 そしてシガヨンとは音楽用語のようです。おそらく(セラ)と同じような言葉であろうと思います。


 ダビデはサウル王に誤解されて、迫害を受ける身となることを私たちは学びました。私たち自身、誤解された経験はなかったでしょうか? 自分は仕事上の方針で上司と対立してしまい、最後には1ヶ月の停職処分を受けたことがあります。その頃の自分は頭でっかちで、若かったのですね、傲慢であったのかもしれませんが、誤解されたと憤慨して怒りの中におりました。そんな時に、その時分、すでに他界していますが、うちの隣に住んでいたもと米海軍の義理の父から、朝起きて、自分の顔を鏡に写している時に、やましい気持ちが無ければ、人が何と言っても気にするなと言ってくれたことを思い起こします。誤解を受けるほど悔しいことはありませんが、ダビデはその結果、追い立てられる逃亡の身となったわけです。


 ダビデは主に嘆願します。8節後半「主よ、わたしの義とわたしにある誠実とに従って、わたしをさばいてください」それまでは順風満々の出世と栄光を受けていたダビデは、ここで苦しみに出会い、今まで彼を慕っていた者たちも背を向ける状況だったのですが、この経験によって、苦しみと迫害のなかでもダビデに従ってくる、本物の仲間と偽物の友人が分けられて、結果としては、本物の仲間に守られて、良き王となる経験をしたのでした。 まだダビデは迫害の中におりましたが、11節で主への感謝の言葉となって、主の名をほめ歌うと感謝しています。試練を通じて、感謝できる者は幸いです。


 キリストを信じる者となる信者には、けっしてこの世においてバラ色の人生は約束されていません。なぜなら、この世は自己中心の世界だからです。自分中心の世界において、神を第一とする生き方をするならば、当然ながら摩擦が起きて、大勢から迫害される身になることは、聖書の使徒たちの人生を見ても明らかです。マタイ10:28「からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい」どうかそのような勇気を持つことができる者へと導いて下さい。


祈り

どのような試練に出会っても、主への信頼が揺るぎませんように、怒りにかられて主の義と恵みを忘れることがありませんように、主イエスを仰ぎ、常に感謝する心を持ちますように アーメン 

文:森 宗孝


 

 詩篇6篇は夜中の祈りと言われています。この6篇で心に留まったのは6節のみことばです。


 「私は嘆きで疲れ果て

  夜ごとに 涙で寝床をただよわせ

  ふしどを大水で押し流します。」6節


 ここを読んでいるときに、ダビデがどれだけ嘆いたかがうかがわれます。「ふしどを大水で押し流す」くらいの涙ってどれくらいの涙だったのかと思わされます。ダビデが一番身も心もぼろぼろになっていた苦難の中にいた時だったでしょう。そのような中にいてもダビデは主を呼び求めています。

  

 「主よ 御怒りで私を責めないでください。

  あなたの憤りで私を懲らしめないでください。

  主よ 私をあわれんでください。

  主よ 私を癒してください。

  私のたましいは ひどく恐れおののいています。

  主よ あなたはいつまでー。

  主よ 帰って来て 

  私のたましいを助け出してください。

  私を救ってください。

  あなたの恵みのゆえに。」1節ー4節



 私がダビデのような苦難の中にいたときにこのように主を呼ぶことはできませんでした。ダビデが夜ごとに涙で寝床をただよわせるというようなことしかできませんでした。しかし、自分では苦難の中で祈ることはできませんでしたけど、教会の兄弟姉妹達が祈ってくださっていたおかげで、神さまの憐みによって立ち上がることができた時はとても感謝の気持ちで一杯になりました。ダビデのように一人で祈れない時には、私たちは、主にあって教会の兄弟姉妹たちと共に祈れるという特権があたえられているということを覚えていくことはクリスチャンとしてとても大事なことだと思います。


 

 愛する天の父なる神さま。

御名をほめたたえます。ダビデのように裏切られ、蔑まれても、あなたへの信仰を確信をもっていくことができますようにお委ねします。イエスさまによって教会の兄弟姉妹達と共に祈りを共用する特権をあたえてくださって感謝します。どうぞ人生の苦難の中におられる方々のために常に祈っていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 

「私のことばに耳を傾けてください、主よ。私のうめきを聞き取ってください。」1節


「私の叫ぶ声を耳に留めてください。私の王 私の神 私はあなたに祈ってます。」2節


「主よ 朝明けに 私の声をきいてください。朝明けに 私はあなたの御前に備えをし 仰ぎのぞみます。」3節


 私は、目が覚めるとまず手に取るのはスマホ。メールやニュースなどをチェックしたり、今日の予定を確認したりしているうちに、いつの間にか心が忙しなくなってしまうことがあります。


 しかし、ダビデは「私の王 私の神 私はあなたに祈ってます」と告白しています。

 彼の一日の始まりは、私が一番にするスマホでもニュースでもなく、「王であり神である主」に向かうことでした。神さまに語りかけ、心を守っていただき、そして1日を整えてもらうことから始めるということなのでしょう。


 私もダビデのように、朝、神さまに心を向ける時間を大切にしたいと改めて感じました。


 今はLAにおられるマッキー先生がハワイのマノアの公園で朝の祈りをされていたというお話を思い出します。

 先生がそのお話をされていたときの表情は、まるで神さまの恵みで満たされているかのように喜びに満ち溢れていました。それを聞いたとき、「私もそんなふうに朝の時間を神さまに捧げてみよう」と思ったのです。

 けれど、忙しい日々の中でその時間を忘れてしまうこともあります。今日、詩篇5篇を読みながら、3節「朝明けに 私はあなたの御前に備えをし 仰ぎのぞみます。」のダビデの姿から、この時間を大切にしていきたい、そう強く感じさせられました。



愛する天のお父さま 

 今日の詩篇を通して、朝にあなたに心を向けることの大切さを教えてくださったことを感謝します。1日の始まりに、まずあなたの御前に立ち、あなたに心を向けて歩み出したいと願います。どうか私の心を整え、あなたの御声に耳を傾ける時間を持つことができますように。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン


 
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