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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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 詩篇13篇は、ダビデの悲しみの祈りから喜びへの祈りへと変わっていく主への叫びです。


 ダビデは、1節から2節まで「いつまで」という語句が4回も使用して神に訴えています。


 「いつまで永久にお忘れになるのか、

  いつまで御顔をお隠しになるのか、

  いつまで自分のたましいのうちで思い悩まなければならないのか、

  いつまで敵が自分の上におごり高ぶるのか。」


 ダビデのような信仰深い人でも神から忘れられたように思ったのです。しかし、ダビデはそのような時にも神に自分の目が開かれ、神の御顔を見ることができるようにと祈ったのです。これが私たちへの「いつまで」に対する応答ではないでしょうか。神が御顔を隠されておられるのなら、私たちがすることは、必死になって祈り求めることだと思います。マタイ7章7節~8節の御言葉にふれられました。


「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。」7:7


「だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。」7:8


 ダビデの失敗から、苦しみから立ち上がることができたのは、自分からすすんで探しまとめ、たたき続けていくことがしめされました。私たちもいろんなトラブルからたちあがれることができるのは、なにもしないでいるのではなくて、これでもかと思うほど主に求めて、たたき続けていくことではないでしょうか。神は、私たちの動きをずっとご覧になっておられると思います。決してすぐには応答なさらずに、私たちがどれだけ神に拠り頼むことができるかを期待しておられると思います。


 ある姉妹が苦難のなかにいた時に、目には一杯の涙を浮かべて、口ずさむ神への賛美をするときは笑顔が満ち溢れていたことを思いだしました。こんな時に、でもこんな時だから、主によくしてくださったことが数えられないほどだから賛美できると言われたときにはただ号泣するしかありませんでした。彼女の信仰の深さに心が打たれました。



 天の父なる神さま。祈ってもあなたからの応答がない時には、私たちはもっと、もっと真剣になり祈り求めます。たたき続けます。あなたは、私たちを決して見放されないお方だということを知っています。このような信仰をもっていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 

 先日ローカルの友人たちが、この国の政治家で本当に国のために動いてくれている人は誰なんだろう?だれもいないじゃないか、と嘆き、今後を案じていた。あなたはいざとなれば日本に帰ればいいからいいわよといわれた。日本は礼儀正しくていい国、と皆さんが思って下さるのは光栄なことだが、日本だってそんな正直者ばかりが住む、天国のようなところではない。政治の世界だけでなく、いたるところに私利私欲のために口を武器として振る舞っている人はいる。ダビデの時代も同じようなものだったのだろう。


主は言われます。

「苦しむ人が踏みにじられ 貧しい人が嘆くから 

今 わたしは立ち上がる。

わたしは彼を その求める救いに入れよう。」

主のことばは 混じりけのないことば。

土の炉で七度試され 純化された銀。

主よ あなたは彼らを守られます。

今の代からとこしえまでも 彼らを保たれます。(5-7)


 世の中を見まわすと、不安材料はたくさんあるが、私たちには確かな主がおられる、ということがなんという力、慰めだろうと思う。主のように真実なお方はおられない。ダビデの時代、このような賛歌を礼拝の時に皆で賛美したことを思う。皆で賛美しながら、状況がどうであれ、決して揺るがされることのない神様が共におられるという平安と希望を得たのではないかと思う。日々、確かな主のみことばを思いめぐらし、主に目を向けていきたいと思わされた。


天のお父様、今日のみことばを感謝いたします。主のみことばは混じりけのないことば。その真実の神様のみことばに信頼して今日も歩みなさいと招いてくださっていることをありがとうございます。どのような状況が私たちの目に映っても、主が私たちと共にいて下さいます。私たちをとこしえまでも守って下さると仰ってくださる主に信頼し、主の平安をいただき、喜び、生きることができますように。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン


 

 7節のみの短い11篇ですが、ダビデは、その最後の7節で、「主は正しく、正義を愛される。 直ぐな人は御顔を仰ぎ見る。」と言っています。直ぐな人とは、どういう人を指しているのでしょうか?完全無欠な人のことでしょうか?そうすると、完全無欠な人は数少ないので、御顔を仰ぎ見ることは難しくなります。そうではなくて、ダビデ本人のように罪を犯しても、いつでもどこでも、心をまっすぐに主に向けて、主にすがり、祈りながら生きる人をさしているように思われます。


 そして、主は正しく、正義を愛されるお方なので感謝ですが、私たち人間にとって完全無欠であることが非常に困難であるように、常に、正しく発言したり行動したり出来ていない自分もいます。それでも、心をまっすぐに主に向けて、主の御顔を仰ぎ見ることが出来る特権を私たちクリスチャンは与えられているので感謝です。


 私たちがイエスの御名で、天の父なる神に祈るとき、そこで天の御座と、この矛盾に満ちた地は、重なり合うように互いに近づいています。


 イエスの父なる神に向かって「アバ父よ!」と呼びかけられることを感謝します。天の御座におられる方の御顔を、いつでもどこでも、覚えさせてください。



主の祈り:今日の御言葉を感謝します。天を仰ぎ、その天に王座がある主に、いつも祈り、すがれる恵みを心から感謝します。この祈りをイエス様のお名前によって捧げます。アーメン


 
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