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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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「幸いなことよ その背きを赦され 罪をおおわれた人は。幸いなことよ 主が咎をお認めにならず その霊に欺きがない人は。私が黙っていたとき 私の骨は疲れきり 私は一日中うめきました。昼も夜も 御手が私の上に重くのしかかり 骨の髄さえ 夏の日照りで乾ききったからです。私は自分の罪をあなたに知らせ 自分の咎を隠しませんでした。私は言いました。「私の背きを主に告白しよう」と。すると あなたは 私の罪のとがめを赦してくださいました。それゆえ 敬虔な人はみな祈ります。あなたに向かって あなたがおられるうちに。大水は濁流となっても 彼のところに届きません。あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り 救いの歓声で 私を囲んでくださいます。私は あなたが行く道で あなたを教え あなたを諭そう。あなたに目を留め 助言を与えよう。あなたがたは 分別のない馬やらばのようであってはならない。くつわや手綱 そうした馬具で強いるのでなければ それらは あなたの近くには来ない。悪しき者は心の痛みが多い。しかし 主に信頼する者は 恵みがその人を囲んでいる。正しい者たち 主を喜び 楽しめ。すべて心の直ぐな人たちよ 喜びの声をあげよ。」


 この詩は、罪の赦しと神との和解の喜びを歌っています。罪赦され、咎を覆われた人は幸いだと2度に渡って強調しています。この詩は著者自身の経験を通して、罪を告白することの大切さが語られています。罪を隠している間の苦しみ、そして告白後の解放感の描写が印象的です。主イエスの十字架の贖いにより義とされた私たちですが、アダムによる罪の性質が、今も私たちに罪を犯させます。どのような罪であれ、神に告白して一刻も早く解放されましょう。神はいつくしみ深く、悔い改める者には、神の赦しと神の平安を与えてくださいます。主を信頼する者は、恵みがその人を囲んでいます。罪から解放され、喜びの声をあげましょう。



祈り:愛する天のお父さま。あなたの大いなる恵みに感謝いたします。あなたの赦しを受け取ることで、日々きよい者へと変えられていることを信じます。ありがとうございます。主イエス・キリストの御名によって感謝してお祈りいたします。アーメン。


 

「私の霊をあなたの御手にゆだねます。」5節


「私の時は御手の中にあります。」15節


 詩篇31篇は、ダビデが苦難の中にいるが、過去において神が助けてくださった。そして、神が共にいてくださるならどんな人も敵対できないことを体験してきました。又、その神はこれからも救ってくださると語っています。


 私たちにも言えることだと思います。過去を振り返ってみた時に、いろんな困難な道を歩いてきましたが、イエス様によってその困難な道から抜けださせてくださいました。これからもいろんな困難に遭遇するかもしれませんが、主はそれからも必ず乗り越えさせてくださることを信じていきたいと思わされるところです。


 5節の御言葉はイエス様が十字架の苦しみの中で最後に言われたことばで、ルカの福音書23:46でも言われています。イエス様こそがこの詩篇の作者の苦しみを味わった方だと解釈者は語っています。


「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」


 これは、自分のすべてを神のお取り扱いにまかせてしまうことであると言われています。ダビデは自分の苦しみは、主がすべてを知っておられるという確信を持っていたから、又、主への信頼があったから自分の時を主に委ねることができたといわれています。私たちの苦しみは神のご計画の中にあり、その苦しみの後に神の救いの時があるということを信じていくことは大切です。


 神に信頼して委ねる。

なにかをしようとする時には心がおどらされます。しかし、すべてがうまくいく保障はありません。なぜなら、すべてのことは主の御手の中にあります。私たちができることは、たとえ順風満帆の時でなくとも、ただ、主なる神に信頼して委ねていくことだと思います。



 全知全能の父なる神さま。

あなたの御名をほめたたえます。今日の御言葉を心から感謝します。

私たちの歩む道はすべてあなたの御手の中にあります。そのことを覚えて日々過ごすことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 

  詩篇の一つの特徴は、「嘆きから賛美へ」という流れがあることです。詩篇の3分の2は「嘆きのことば」です。しかし、その嘆きが賛美に変えられるのです。

 この30編は、まさにその典型的な詩篇です。


「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」(5)

「あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。」(11)


 人生には苦しみが多くあります。「わが神、主よ、私が叫び求めると、あなたは私を癒してくださいました。」(2)

 私たちの多くは癒しを必要としています。身体の癒し、心の癒し、壊れた関係の癒し社会の癒し、この社会とそこに住む人々の多くは痛み、傷つき、癒しを求めています。


 しかし私たちの主は、その傷を癒し、嘆きを喜びと賛美に変えてくださるお方です。その癒しの始まりは、「わが神、主よ」と叫び求めることです。天地を造られた全能の神を、「私の神、私の主」と呼べる、そのような神との関係を持つことから始まります。

 その神との関係を持たせてくださるのが、イエス・キリストの救いです。私たちは今日も、イエス・キリストの御名によって祈ります。このお方によって私たちは、神を「私の神」と呼べる者とされたのです。


 主の恵みに感謝をささげます。


 天の父なる神さま

 人生には多くの嘆き、苦しみがあります。しかし、その嘆きのただ中で「私の神、私の主」に叫び求めるときに、その嘆きが賛美に変えられることを感謝いたします。

 私たちが、いつでも、どんな時でも、主に心を向けていますように、あなたに向かって叫び求めることができますように、私たちを助け導いてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

文:関真士


 
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