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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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 詩篇34篇はダビデがアビメレクの前で狂人になったかのようにふるまい、彼に追われて去ったときに作られた詩篇である。人は生き延びるためにはどんなことでもやり通すことができるのですね。そういう状態であるのに34篇の詩篇の内容はかなり明るいです。34篇1節でダビデは、「あらゆる時に」「いつも」ということばで神を賛美しています。


「私はあらゆるときに 主をほめたたえる。私の口には いつも主への賛美がある。」


 私たちへの教訓のように思われます。ダビデのようにどんな悲惨な状態の中にいても、彼は主を誇り、賛美し、祈っています。ある牧師が語っています。


「祈りが聞かれないと思える状況のなかでも、なお祈り続けていくことが祈りが聞かれる秘訣である。あきらめずに、忍耐をもって、信じて祈り続けていくことです。」


 信仰の先輩が、日本に証し伝道に行くことになりました。ずっと以前から示されたことでしたが、その矢先に癌が見つかり手術することになりました。私たちは祈りました。そして、手術は無事に成功して退院されました。お見舞いに行った時に、その方はすばらしいことを証ししてくださいました。「主の為に用いられようとすると必ず妨害があります。しかし、私は主を呼び求めて祈りました。あなたが私に示してくださったことだから、私は行きます。あなたがすべてを善きにしてくださると信じています。」とても力強い発言でこれが、あきらめずに、忍耐をもって、信じて祈っていくことだと示されました。その時の元気な笑顔は、まるで、主の栄光に包まれたもののようでした。

「しかし、主を求める者は 良いものに何一つ欠けることがない。」(10節抜粋)

 

 ハレルヤ。主の御名をほめたたえます。今日の御言葉を感謝します。どんな時にも、あきらめずに、忍耐をもって、信じて祈り通していくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン 


 

「正しい者たち 主を喜び歌え。賛美は 直ぐな人たちにふさわしい。竪琴にあわせて 主に感謝せよ。十弦の琴に合わせて、ほめ歌を歌え。新しい歌を主に歌え。喜びの叫びとともに 巧みに弦をかき鳴らせ。」


 この御言葉を読んだとき、私はホノルル教会でのある賛美の光景を思い出しました。 一人の姉妹が大正琴を手にして神さまの前に立ち、静かに演奏を始めて、その音色は優しくて、礼拝堂いっぱいに神さまの平安と愛が満ちていくかのようでした。


「新しい歌を主に歌え。喜びの叫びとともに 巧みに弦をかき鳴らせ。」

 まさにこの御言葉のとおりで、その姉妹の演奏は、ただの音楽を聞かせるのではなく、心から神さまに向けた賛美でした。聴いていた私も、姉妹の神さまに向けたまっすぐな心が伝わってきて、気づけば私も自然と、神さまに向かって賛美をしていました。


 4〜5節にはこうあります。

「まことに 主のことばは真っ直ぐで そのみわざは真実である。 主は正義と公正を愛される。主の恵みで地は満ちている。」


 私たちが賛美するのは、それは神さまの御言葉が真実であり、私たちの日々がその恵みで満ちているからなのだと思いました。 今日という一日が与えられていること、小さな導きの中に神さまのご計画があることを思う時、私は自分が証詞をした時に選んだ賛美『わたしを守る方』(長沢崇)https://youtu.be/V0M1OKDUoRs?si=XOzeI6vFZK9KqzJpを自然と口ずさんでしまいます。


 最近、日本での生活にも少しずつ慣れてきましたが、新しいバイト先では、日本特有の「空気を読む」や、「右にならえ」のような集団の流れに合わせることが求められ、ハワイで20年以上仕事をしてきた私にとっては、やはり戸惑いを感じたり、心がざわめくこともあります。

 でも、そんな時こそ賛美を口ずさむと、不思議と神さまの愛を感じ、心が整えられます。 「主が私と共におられる」、その確かな実感が、私に勇気を与えてくれるのです。



愛する天のお父さま

 あなたの御言葉は真っ直ぐで、あなたのなさるすべては正しく愛に満ちています。どんな環境にあっても、あなたの恵みは私を包み、守ってくださっていることを感謝します。

 心がざわめく時でも、あなたを見上げて賛美できる者でいられますように。私の心がいつもあなたに向かい、新しい歌をもってあなたを賛美する者とならせてください。

 イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン


 

「幸いなことよ その背きを赦され 罪をおおわれた人は。幸いなことよ 主が咎をお認めにならず その霊に欺きがない人は。私が黙っていたとき 私の骨は疲れきり 私は一日中うめきました。昼も夜も 御手が私の上に重くのしかかり 骨の髄さえ 夏の日照りで乾ききったからです。私は自分の罪をあなたに知らせ 自分の咎を隠しませんでした。私は言いました。「私の背きを主に告白しよう」と。すると あなたは 私の罪のとがめを赦してくださいました。それゆえ 敬虔な人はみな祈ります。あなたに向かって あなたがおられるうちに。大水は濁流となっても 彼のところに届きません。あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り 救いの歓声で 私を囲んでくださいます。私は あなたが行く道で あなたを教え あなたを諭そう。あなたに目を留め 助言を与えよう。あなたがたは 分別のない馬やらばのようであってはならない。くつわや手綱 そうした馬具で強いるのでなければ それらは あなたの近くには来ない。悪しき者は心の痛みが多い。しかし 主に信頼する者は 恵みがその人を囲んでいる。正しい者たち 主を喜び 楽しめ。すべて心の直ぐな人たちよ 喜びの声をあげよ。」


 この詩は、罪の赦しと神との和解の喜びを歌っています。罪赦され、咎を覆われた人は幸いだと2度に渡って強調しています。この詩は著者自身の経験を通して、罪を告白することの大切さが語られています。罪を隠している間の苦しみ、そして告白後の解放感の描写が印象的です。主イエスの十字架の贖いにより義とされた私たちですが、アダムによる罪の性質が、今も私たちに罪を犯させます。どのような罪であれ、神に告白して一刻も早く解放されましょう。神はいつくしみ深く、悔い改める者には、神の赦しと神の平安を与えてくださいます。主を信頼する者は、恵みがその人を囲んでいます。罪から解放され、喜びの声をあげましょう。



祈り:愛する天のお父さま。あなたの大いなる恵みに感謝いたします。あなたの赦しを受け取ることで、日々きよい者へと変えられていることを信じます。ありがとうございます。主イエス・キリストの御名によって感謝してお祈りいたします。アーメン。


 
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