- hccnichigo
- 6月14日
「私は切に 主を待ち望んだ。主は私に耳を傾け 助けを求める叫びを聞いてくださった。」(1)
詩篇40篇を読むと、ダビデの祈りには一切の飾りがなく、神さまに助けられたときには心から感謝し、苦しみの中では率直に助けを求めています。その真っ直ぐな祈りができるダビデは、神さまにただただ信頼をおいているように感じます。
「私は あなたの義を心の中におおい隠さずあなたの真実とあなたの救いを言い表します。私は あなたの恵とあなたのまことを大いなる会衆に隠しません。」(10)
10節では、ダビデが自分に与えられた恵みや真実を、心に留めるだけでなく、他の人々の前ではっきりと言い表すことを誓っています。この言葉を読んだとき、私は「神さまがしてくださったことを、他の人に証ししているだろうか?」と問われたようでドキッとしてしまいました。
日々の中で神さまの恵みを確かに受け取っているのに、それを忘れてしまっていたり、言葉にできていなかったりしていたからです。
ある学びのクラスで「主がわたしに良くしてくださったことを書いてみよう」という課題が出たとき、最初は何を書いたらいいのか分かりませんでしたが、書き綴るうちに、忘れていた恵みがいくつもよみがえってきました。神さまは確かに私を助けてくださっていた。私の叫びを聞いてくださっていた。そう思い出されたとき、自然と感謝の心が湧きあがってきたのを覚えています。
神さまの御心を喜びとし、その義と救いを語るのは特別な人だけでなく、私たち一人ひとりが招かれている歩みなのだと思います。私もまた、書き綴った恵みの中から一つでも人に伝えていけたらと思いました。
ダビデは恵みを語るだけではなく、40篇の後半、ダビデ自身の罪や苦しみ、敵の存在に押しつぶされそうになりながら、神さまに助けを求め、まっすぐに祈る姿を見せてくれます。私も、ダビデのように神さまの前で自分を隠さずに、感謝も願いも、恐れも嘆きも救いを求め、真っ直ぐに祈る者でありたいと思いました。
愛する天のお父さま
あなたは私の叫びを聞いてくださいました。でも私は、その恵みを忘れ、語ることを怠ってきたかもしれません。どうか、心の奥にある感謝や願いを、ダビデのように、まっすぐにあなたに祈ることができるようにしてください。そして、私の思いを偽ることなく、証しする者となれますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン

