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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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「私の心が衰え果てるとき 私は地の果てから あなたを呼び求めます。どうか 及びがたいほど高い岩の上に私を導いてください。」(2)


 どんなに小さなことでも、心が疲れ果ててしまうことがあります。 今の私にとっては、新しい環境や職場、人間関係、そして母の介護によるストレスが、じわじわと心を圧迫しています。ダビデのように命を狙われているわけではないにしても、心の中で「逃げ場がない」と感じるような、そんな追い詰められた思いになることがあります。


 けれども、そのようなときにこそ、ダビデが「あなたは私の避け所、敵に対して強いやぐら。」(3)と祈ったように、「あなたが盾となってくださると信じます」と告白してみるのです。すると不思議と、心に平安が与えられ、気づけばよい道へと導かれていることに気づかされるのです。


 神さまは決して遠く離れたところにおられるのではなく、すでに私のそばにいてくださり、御翼の陰に静かに招き入れてくださるお方です。


「及びがたいほど高い岩の上に私を導いてください」という祈りは、自分の力ではどうにもできない状況の中で、神さまの守りと力の高さにすがる信仰の告白なのではないかと思うのです。その信頼の中にいるからこそ、私たちは主の臨在を体験し、盾のように守ってくださる主の恵みに生かされていくものなのではないかと思いました。



愛する天のお父さま

 あなたの御翼の陰が、今日も私の避けどころであることを感謝します。心が疲れ果てるときも、あなたがそばにいてくださることを信じます。「あなたが盾となってくださる」と日々の祈りの中で告白できること、そして実際に、あなたが守り、導いてくださることに深く感謝します。どうか今日も、私の心を「及びがたいほど高い岩の上」に導いてください。あなたの平安の中に、私の歩みを置いてくださいますように。

 イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 

「¹神よ あなたは私たちを拒み 私たちを破られました。あなたは怒られました。どうか 私たちを回復させてください。²あなたは地を揺るがし 引き裂かれました。その裂け目を癒やしてください。地が揺れ動いているからです。³あなたは 御民を苦しい目にあわせ よろめかす酒を 私たちに飲ませられました。⁴あなたは あなたを恐れる者に 旗を授けられました。弓から逃れた者をそこに集めるために。⁵あなたの愛する者たちが助け出されるよう あなたの右の手で救い 私に答えてください。⁶神は聖所から告げられました。「わたしは 喜んでシェケムを分け スコテの平原を測ろう。⁷ギルアデはわたしのもの。マナセもわたしのもの。エフライムは わたしの頭のかぶと。ユダは私の王笏。⁸モアブはわたしの足を洗うたらい。エドムの上に わたしの履き物を投げつけよう。ペリシテよ わたしのゆえに大声で叫べ。」 ⁹だれが 私を防備の町に連れて行くのでしょうか。¹⁰神よ あなたご自身が 私たちを拒まれるのですか。神よ あなたはもはや 私たちとともに 出陣なさらないのですか。¹¹どうか敵から私たちを助けてください。人による救いはむなしいからです。¹²神にあって 私たちは力ある働きをします。神が 私たちの敵を踏みつけてくださいます。」


 この詩篇は、第2サムエル記8章や第一歴代誌18章にある戦いが背景にあります。その戦いはダビデ軍の勝利で終わっていますが、実は敗北するかもしれないものであったことが、この詩篇60篇から知ることができます。ダビデにとって戦いは常に主の戦いでした。その信仰のゆえに主もまた、ダビデに勝利を与えていきました。なのになぜ、主はダビデを窮地に追い込んだのでしょうか。ダビデを通して、そのような状況下に置かれた時こそ、「キリストに在る」という信仰が試されているのではないでしょうか。



祈り:愛する天のお父さま。主は共におられます。そのことを常に覚えて、日々の出来事に一喜一憂することがありませんよう、私の信仰を育て、導いてくださいますようお願いいたします。主イエス・キリストの御名によって感謝して祈ります。アーメン


 

「しかし この私はあなたの力を歌います。朝明けには あなたの恵みを喜び歌います。私の逃れ場であられたからです。」16節


「私の力よ 私はあなたにほめ歌を歌います。神は私の砦 私の恵みの神であるからです。」17節

 

 59篇は、聖書の冒頭に述べられているようにダビデを殺そうとサウルが人々を遣わし、彼らがその家の見張りをしたときに詠まれた詩です。その時にダビデは、「私を救い出してください。」と必至の思いで主に祈っています。だが、13節では、「憤りを持って滅ぼし尽くしてください。」と祈っています。その時に、おや?と思わされたことは、ダビデともあろうお方がそのような祈りをするのかと考えさせられましたが、それは人にむけての祈りでなく、神へのダビデの正直な心を表したものであるということです。私たちも自分の心にあるものを正直に神に告白していくことはとても大事だと思います。それを神はお喜びになられるからです。


 私たちが逆境の中にいる時に果たしてダビデのように、神を賛美することができるだろうかと思わさられるところです。しかし、苦難の中にいたダビデは、朝ごとに神を賛美することを知っていたのです。彼の逃げ場は、賛美を住まいとしておられる神だけであるということを。又、その神への賛美をすることによって平安と希望があたえられたのです。詩篇を読んでいて、賛美をすることが今まで以上に神の臨在のなかに入っていくことができるような思いである。


 天の父なる神さま。御名を心から賛美します。私たちの逃げ場は賛美を住まいとしておられるあなたのところです。苦難の中にあっても賛美することを覚えて、あなたの臨在の中に入っていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
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