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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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『主よ 遅れないでください』


 この嘆きの歌は、詩篇40篇後半とほとんど一緒なのですが、それは私たちすべてが、神に願う祈りを代表しているからだろうと思います。主よ、今すぐに私を救い出して下さい。時は急を要しています、私を見捨てずに、急いで助けに来てください。遅れないで来てくださいと、私たちは、自分が危機に見舞われた時に祈ってはいないでしょうか。 その時、すぐに助けてもらいたいのです。


 しかし、私たちは時において、自分の受けている災難の中で、まず最初に相談するのはだれなのか、妻であるのか、友人に相談するべきか、会社の上司や先生に話を聞いていただこうか、いやいや、まず最初に神よと主に祈っている作者がここにおります。ことは急いでいるのですが、友人や家族よりも、真っ先に主に願う姿は、私たちも見習うべき態度ですね。


 3節の「あはは」とあざ笑う者たち、とありますがヘブル語では、これは日本語での「ざまあみろ」という言葉に近い嘲笑だそうです。あのような者たちが私を嘲笑って後悔し、恥をかきますようにと、作者は主に願っているのです。私たちも時にはそのような気持ちになってしまいますが、主がこの世に来られて、私たちに伝えられたのは、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、自分でわからずにいるのです。」という赦しの霊を私たちにくださったのです。そうすれば、主の救いを愛する人たちが、主を褒め称えることになるというのが、主イエスが地上にこられて、この詩篇の作者にきっと伝えられたことでしょう。


祈り

私たちも、緊急を要する災難に出会った時に、まずは天を見上げて、主なる神に祈りを捧げることができますように アーメン 

文:森 宗孝


 

「私は苦しんで 痛みの中にいます。

 神よ 御救いが私を高く上げますように。」69:29


「歌をもって 私は神の御名をほめたたえます。

 感謝をもって 私は神をあがめます。」69:30


 詩篇69篇はダビデの苦難の状況が描かれています。主に対して熱心になればなるほど自分の兄弟から、のけ者にされたことなどが強く神に訴えられています。そこには、妬みや嘲りなどが作者にふりかかってきました。ノアの時もそうでした。神の啓示によってノアが方舟をつくっている時に人は彼のことをきちがい呼ばわりして嘲りました。しかし、ノアはその屈辱を振り切り方舟を完成し、それに乗って命をえることができたのです。


 69篇の詩人も蔑まれても、主に祈ったのです。主以外に自分に同情、慰めてくださる方はいないと信じていたからです。苦難の中にいても、神の御名をほめたたえ、感謝をもって、神をあがめ賛美をすると言っています。クリスチャンにとって一つのキーワードに値するものではないでしょうか。


 苦難からの救いとは、苦難がなくなると言うのではなく、神とより深く交わることだと言われているそうです。私も苦難の道を通ってきました。その時は、ただ、なぜ、なぜと神に訴えることだけでしたけど、今思えば、それが神とより深く交わえることだったということが分かって、心から感謝しています。



 天の父なる神さま。御名をほめたたえます。苦難にあった時はとてもつらいです。信仰が揺らぐ時があります。そのような時にも、どうぞ私たちがあなたに祈り、より深く交わることができますように助け、導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン 


 

 「⁷神よ あなたが御民に先立って出て行き 荒れ野を進み行かれたとき、⁸地は揺れ動き 天も雨を降らせました。シナイにおられる神の御前で。」


 「¹⁷神の戦車は 幾千万と数知れず。主はその中におられる。シナイの神は聖所の中に。 ¹⁸あなたは捕虜を引き連れて いと高き所に上り 人々に、頑迷な者どもにさえ 贈り物を与えられた。神である主が そこに住まわれるために。」


 イスラエルの民がエジプトを出て、荒野を通り、ついにシオンの山へ至るまで、神さまの臨在に導かれる旅の様子が、この68篇には描かれています。 神さまは、ただ約束の地におられるのではなく、荒野のただ中においても、常に民と共にいてくださいました。


 焼けつく太陽の下、食料も水もなく、敵に囲まれるような厳しい状況の中でも、神さまは雲と火の柱で導き(出エジプト記13:21)、マナと水を与え(出エジプト記16,17)、疲れた者を励ましてくださいました。 神さまの臨在は契約の箱に宿り、それが担がれて、ついにシオンの山(エルサレム)に置かれます。 それは、「さまよえる民の旅が終わり、礼拝する民としての新たな始まり」を意味しているのだと思いました。


 私たちの人生もまた、荒野のような困難や不安をかかえる旅の連続かもしれません。 けれども、「¹⁹ほむべきかな 主。日々 私たちの重荷を担われる方。この神こそ私たちの救い。」とあるように、主は私たちの日々の重荷を共に担ってくださり、礼拝の場所へと導き、最終的には永遠の命へと私たちを導いてくださるお方です。



愛する天のお父さま

 あなたは私の前を進み、私の荒野をともに歩んでくださる方です。疲れた日にも、不安に包まれる日にも、あなたの臨在は確かにそこにあります。今日も私の重荷を担ってくださるあなたに、心から感謝します。

 私の心が焦点を失うときにも、あなたの御前での礼拝へと、そして永遠の命へと導いてください。

 イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

 
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