- hccnichigo
- 7月26日
『我らの神』
1. 神は、神の会議の中に立ち神々のただなかでさばきを下す。
2. いつまで お前たちは不正をもってさばき悪しき者たちの味方をするのか。セラ
弱い者と貧しい者とみなしごのためにさばき苦しむ者と乏しい者の正しさを認めよ。
3. 弱い者と貧しい者を助け出し悪しき者たちから救い出せ。
4. 彼らは知らない。また 悟らない。彼らは暗闇の中を歩き回る。地の基はことごとく揺 らいでいる。
神様が会議をもつ?と不思議に思い色々な解説を読んでみる。
すると82篇は神様が「神々」と呼ばれる地上の支配者や権力者をさばく様子が描かれていることがうかがえる。詩人は神が不義を行う者たちを裁き、正しい裁きを求めることを祈る。この詩は、権力者の責任と神様の公正な裁きを強調している。
ここで権威と権力の違いを明確にしておきたいと思う。
権威とは尊敬や信頼を基盤とした影響力。イエス様がまさに権威者といえよう。
権力とは、強制や支配を基盤とした影響力。神から与えられた高い社会的地位にある人々。今でいう裁判官や大統領などが権力者であろう。
私は今まで、良い権力者の下で働いてこられたのはひとえに神様の恵みがあったからこそであろう。数年前まで、本当に責任をよくわきまえた権力者たちが上司で、どれだけ大きな恵みをもらっていたのかが今になってわかる。
ちなみに、「かみ」と読む漢字は25もあるという。「我らの神」、日本では、「お上」、越前の「守」などである。牧師先生が「おかみさん」というのもあると、笑ったものだ。
天の父なる我らの神よ、
この世は不条理に満ちています。あなたの御業が公正になされますように。そして我らの責任の一つである宣教。あなたの言葉をきちんとより多くの人々に伝えられるよう、私たちを備えて下さい。私たちが頂いている恵みをあなたへの栄光として捧げることが出来ますように、日々導いて下さい。御子イエスキリストの名により祈ります。アーメン
文: マッカーター政子


