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Tropical Leaves

HCCディボーションブログ

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「¹主よ 私の救いの神よ 昼 私は叫びます。夜もあなたのみそばで。²私の祈りを あなたの御前にささげます。どうか 私の叫びに耳を傾けてください。³私のたましいは 苦しみに満ち 私のいのちは よみに触れていますから。⁴私は穴に下る者たちとともに数えられ 力の失せた者のようになっています。⁵私は 死人たちの間に放り出され 墓に横たわる 刺し殺された者たちのようです。あなたはもはや彼らを覚えてはおられません。彼らは あなたの御手から断ち切られています。⁶あなたは私を最も深い穴に置かれました。暗い所に 深い淵に。⁷あなたの憤りが私の上にとどまり あなたのすべての波で あなたは私を苦しめておられます。⁸あなたは 私の親友を私から遠ざけ 私を 彼らの忌み嫌う者とされました。私は閉じ込められて 出て行くことができません。⁹私の目は苦しみによって衰えています。主よ 私は日ごとにあなたを呼び求めています。あなたに向かって両手を差し伸ばしています。¹⁰あなたは死人のために 奇しいみわざを行われるでしょうか。亡霊が起き上がり あなたをほめたたえるでしょうか。¹¹あなたの恵みが 墓の中で宣べられるでしょうか。あなたの真実が滅びの淵で。¹²あなたの奇しいみわざが闇の中で知られるでしょうか。あなたの義が忘却の地で。¹³しかし私は 主よ あなたに叫び求めます。朝明けに 私の祈りは御前にあります。¹⁴主よ なぜ あなたは私のたましいを退け 私に御顔を隠されるのですか。¹⁵私は苦しんでいます。若いころから死に瀕してきました。あなたの恐ろしさに耐えかねて 私の心はくずれおれそうです。¹⁶あなたの燃える怒りが私の上を超えて行き あなたからの恐怖が私を滅ぼし尽くしました。¹⁷それらは日夜 大水のように私を囲み 瞬く間に 私を取り巻いてしまいました。¹⁸あなたは私から愛する者や友を遠ざけられました。私は暗闇を親しい友としています。」


 詩篇の作品の多くが、悲しみや苦しみを訴えながらも最後には希望や神への信頼・感謝で終わっているのに対し、今回の詩篇は最後まで闇の中にとどまっています。絶望で締めくくられている詩篇ですが、冒頭に「マスキール」と書かれているということは、私たちへの教訓の詩であることが分かります。祈っても祈っても答えが得られない、まるで神に見捨てられたかのような、闇の中に閉じ込められてしまったかのような経験はありますか?そんな時でも、祈りなさい、とこの詩篇は教えます。たとえ嘆きで終わる祈りであっても、それもまた主への賛美であるとこの詩篇は教えてくれているのではないでしょうか。


祈り:愛する天のお父さま。「主よ、どうしてですか?」と嘆き、祈る時があります。そのような祈りでも主よ、あなたはしっかりと受け取ってくださっていることを、この詩篇を通して知りました。あなたが沈黙されている時、それは私の信仰に対する忍耐が試されていることも知りました。ありがとうございます。どのような時も、まず祈ることができますよう、助け導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

文:アイゾン直子

 

 詩篇87篇は、バビロン捕囚から帰ってきたコラの子孫が作ったものだと言われています。詩人は、シオン(エルサレム)こそ、神の国の首都であると述べています。なぜシオンなのか。それは、主ご自身がシオンに基を置かれ、ダビデが造った町を愛したからです。


 主は、ラハブ、バビロン、ペリシテ、ツロ、クシュなどの国々の民にも、「わたしを知る者として記憶しよう。」と言われています。これは、諸国民が主を知り、主の民となるとき、シオンで生まれたものとして登録されるということです。これは終末に成就する預言的なメッセージと考えられ、異邦人である私たちも天のエルサレムの住民として、シオンで生まれた者として登録されると語っています。私たちの名は神の生命の書に記され、私たちの国籍は天にあると解釈されています。なんという恵みでしょうか。


 当時のイスラエル中心の考え方、つまり、「自分たちだけが神から選ばれた民であり、異邦人は滅ぼされるべきものだ。」ということを否定するものであります。ある牧師によりますと、イスラエル民族が、主によってバビロン捕囚から解放されたことを通して、真の神は全世界の神であることを悟ったのだろうと語っています。


 全世界を治める神は、全世界の人々を同等に愛しておられます。その神を私たちは真の神として受け入れています。私たちも、人々を自分を愛するように、同等に愛し合っていくことだと思います。


「歌う者も 踊る者も

『私の泉はみな あなたにあります。』と言う。」7節

 

 愛する天の父なる神さま。私たちの名をあなたの生命の書に記してくださっていることを感謝します。そして、私たちの国籍は天にあるということを覚えて、この地上生涯にいる間をあなたのために私たちを用いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。


 

 なんと心に染み入る詩篇でしょうか。


「主よ 耳を傾けて 私に答えてください。私は苦しみ 貧しいのです。」(1)

 苦難の中で、このように頼ることの出来る主がおられるのです。苦しいからこそ、飢え渇いているからこそ、主を求めるのです。


「主よ 私の祈りに耳を傾け 私の願いの声に心を留めてください。苦難の日に 私はあなたを呼び求めます。あなたが私に答えてくださるからです。」(6、7)

  私たちと共にいてくださる主は、苦難の日に答えてくださるお方なのです。

 私たちは、苦難の日に神に背を向ける者でしょうか。それとも苦難の日だからこそ主を求める者でしょうか。


「わが神 主よ 私は心を尽くしてあなたに感謝し とこしえまでも あなたの御名をあがめます。」(12) 

 詩人は今現在、苦難のただ中にあります。しかし、主は必ず祈りに答えてくださり、御心を成してくださることに信頼しているのです。

「主よ あなたが 私を助け 慰めてくださるからです。」(17)

 だから詩人は賛美を捧げるのです。この賛美は先取りの賛美です。祈りが答えられた後に賛美しているのではなく、祈りと同時に賛美しているのです。まだ苦しい状況は変わっていません。しかし主はすでに成してくださったと信じて賛美を捧げるのです。


 それは、詩人が苦しみの中で主に出会っているからです。私たちも主に出会うとき、苦難の中にあっても、不思議と主への賛美が湧き上がってくるのです。それは、主ご自身が私たちのすべてだからです。私たちは状況が変わったから賛美するのではなく、主が私たちの主であるから、ただその理由だけで主を賛美するのです。

 それほど「主は素晴らしい」お方なのです。


 天の父なる神さま

 人生には、様々な苦難が襲ってくることがあります。しかし私たちは、苦難の日にあなたを呼び求めます。そしてあなたが必ず祈りの答えてくださることを信じて、主よ、あなたを賛美いたします。

 主よ、あなたこそ私たちのすべてです。あなたこそ賛美を受けるべきお方です。ハレルヤ!

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

文:関真士


 
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