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4月25日

2024年4月25日 ルカの福音書4章

 ヨルダン川で洗礼を受けられたイエスは、御霊によって荒野に導かれ、そこで40日間悪魔の試みを受けられた。ここでは、悪魔の3つの試みについて述べられている。

 神の子なら石に命じてパンになれといったり、悪魔の前にひれ伏すなら、すべての権力と栄光を得ることができるとか、そして、エルサレムの高い神殿の上から下に身を投げなさいと、試みるのである。しかし、御霊が内住するイエスはそれらの質問に見事打ち勝つのである。3つの質問の答え(人はパンだけで生きるのではない、主にのみ仕えなさい、あなたの神である主を試みてはならない。)のなかで心に示されたのが、最後の「あなたの神である主を試みてはならない。」という御言葉である。

 旧約の士師記のなかにでてきた、主を試みて大失敗をした士師のことが思いだされる。私たちは、どんなことがあっても決して主を試みてはいけないのである。主が私たちに望まれることは何であるかを先に考えるべきことである。もし~してくださるならという祈りは、神を試して、自分が神の上にたつ言い方になるのである。誰も神を試し、神の上にたつことはできないのです。私も以前にそういうことばで祈ったことがあった。でも、最近はそのような祈りから、必ず「それが、あなたの御心でありますように。」と付け加えるようにしています。

「預言者はだれも、自分の郷里では歓迎されません。」24節(抜粋)

「ほかの町々にも、神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのた

 めに遣わされたのですから。」43節(抜粋)

 この2つの御言葉にふれられた時、伝道の覚悟というものがしめされる思いがした。熱くもなく冷たくもないぬるま湯のなかに浸るようであってはいけないことであるということです。親兄弟、親戚や友人に伝道することがどれほどむずかしいかを知らされる思いです。伝道は全世界にでて神の福音を宣べ伝えていかなければなりません。関牧師のメッセージで、宣教は、教会の働きであり、又、教会という人の集まりがないとできないこと、それは、交わりのなかで聖霊に満たされることであると言われたことに心が動かされて感謝でした。

 愛する天の父なる神さま。聖霊に満たされることがどれほど大切であるかを知らされる思いでした。日々、内住される聖霊に満たされるように、常に御声に聞きいっていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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