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2月17日

2024年2月17日 ヨシュア記1章

 モーセが亡くなって、いよいよここからヨシュアがイスラエルの民を率いて約束の地を攻め上っていく。

 彼らは40年前にも一度約束の地に入るチャンスがあったにもかかわらず、信仰が足りなくて入ることができなかった。敵地に派遣された偵察隊は、見えるままを群衆に報告し、自分たちの恐れや不安を口にした。一方ヨシュアとカレブだけは神様の信仰による希望をもって物事を見て群衆を励ましたが、絶対数で負けてた。結局ここから40年間荒野をさまよい歩かなくてはいけなくなった。

 40年の間に、最初の偵察隊を送った時に生きていた人たちは皆死に、希望的報告をしたヨシュアとカレブだけが生かされていた。

 モーセ亡き後、ヨシュアが群衆のリーダーとして立たされた。民を先導するにあたり、神様はヨシュアにみことばを昼も夜も口ずさみ、守り行いなさいとおっしゃった。そして、「強くあれ、雄々しくあれ」と3度も語られた。それは、彼の行くところ、どこででも神様が共にいらっしゃるからだ。

 どんなグループもリーダーでそのグループの雰囲気が変わる。学校のクラスでもそうだった。なんとなくそのリーダーの性質が反映するものだ。だからこそ、神様は神様が先頭をいく神様のグループなんだから、そのことを自覚してそれを反映するリーダーでいなさいとヨシュアに語ったのだろう。

 群衆も40年前とは打って変わり、ヨシュアに「あなたが私たちに命じたことは、なんでも行います。あなたが遣わすところには、どこでも参ります」(16)というのだ。モーセが導いていた頃の群衆は、なんと文句が多く、反逆が多かったことだろう。金の子牛を作って拝んだりして、誰が神様で誰がリーダーかも不明になってしまうようなありさまだった。なのに、その子孫がこんなことをいうのだ。民の心はしっかり整えられ、ヨシュアという新しいリーダーにしっかり従っていく心構えだ。今イスラエルの民は神様を中心に心ひとつにまとまっている。

こういうときに、神様の力は大きく働くのだなと思わされる。これからイスラエルの民は、自分たちより大勢の民、力強い民を次々に倒し、約束の地を手に入れていく。

 天のお父様 今日のみことばを感謝いたします。神様はこの地で神様の御業をもっと成したいのに、私たちが神様に心が向いていなかったり、隣人同士反目しあっていたりして、働けないでいらっしゃる部分がたくさんあるんじゃないかと思わされました。神様、あなたのみこころがこの地で成りますように。まずは家庭、教会からみなで心ひとつにあなたの御心を求めることができますように。神様の御業が大いになされますように。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン

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