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2022年9月5日

2022年9月5日 ディボーション

エレミヤ書41章

  

『肉的な思いによる破壊』

 

  総督ゲダルヤは、部下であるカレアハの子ヨハナンと、軍のすべての高官たちから、「アンモン人の王バアリスがネタンヤの子イシュマエルを送って、あなたを打ち殺そうとしています」、との警告を受けたにもかかわらず、それを信じず、結果彼は、食事を共にしていたネタンヤの子イシュマエルとその部下10人によって、殺されてしまいます。

 

 翌日、ゲダルヤの死をまだ誰も知らない時、巡礼に訪れた一行がいました。シュケム、シロ、サマリヤから来た80人の巡礼者たちでした。ネタンヤの子イシュマエルは彼らに、「アヒカムの子ゲダルヤのところにおいでください」と涙ながらの演技をして彼らを町に誘導し、そこで殺すと、穴の中に投げ入れました。ただし、ささげる食物のある者たちは、生かしておきました。

 

 次にネタンヤの子イシュマエルは、ミツパに残っていた王の娘たちや民を捕らえて、アンモン人のところに出発します。しかしそれを聞いたカレアハの子ヨハナンとすべての高官たちが現れます。そして彼らを見つけたこれらの民すべては、身を翻して、彼らの側につきます。事態が悪くなったネタンヤの子イシュマエルは、その他8人の者と一緒にアンモン人の所に向かいます。

 

 ネタンヤの子イシュマエルによる総督ゲダルヤの暗殺は、ミツパに残された人たちを恐怖に陥れました。なぜなら、ゲダルヤはバビロン王によって選ばれた総督でしたから、その彼がネタンヤの子イシュマエルによって殺されたとなると、カルデア人は黙っていないと考えたからです。

 

 そこでカレアハの子ヨハナンとすべての高官は、カルデア人による襲撃から残された民を守るべく、イシュマエルから取り返した民、勇士や戦士、女、子供たち、宦官たちを連れてエジプトへと向かうため、ベツレヘムのかたわらにあるゲルデ・ギルハムにとどまるのでした。

 

 総督ゲダルヤは親バビロンであったと思われます(40:9)。エレミヤは親バビロンではありませんが、主のことばが親バビロンと思わせたのでしょう。彼はバビロン王に優遇され、監視の庭から連れ出された後、総督ゲダルヤに渡されると、民の間に住むことが許されました(39:11‐14)。

 

 ゲダルヤは、バビロンの王によって総督に任命され、ユダに残された男や女、子供たちや貧しい人たちの管理を委ねられました(40:7)。彼が総督になったことを聞いて、各地に散らされていたユダヤの民が帰った、とありますから(40:12)、彼がいかに民に信頼されていた人なのか、ということがわかります。

 

 ネタンヤの子イシュマエルによるゲダルヤへの妬みは、たくさんの命を犠牲にするものとなりました。肉的な思いは、破壊を生み出してしまうことがよくわかります。このことは、現代でもいえることだと思います。妬みというのは、度が過ぎるとその矛先が全く関係のない人たちにも向けられてしまい、家族や社会全体を破壊させます。

 聖書は、ねたみは悪魔的なものであると教えています。

「しかし、もしあなたがたの心の中に、苦々しいねたみや利己的な思いがあるなら、自慢したり、真理に逆らって偽ったりするのはやめなさい。そのような知恵は上から来たものではなく、地上のもの、肉的で悪魔的なものです。」(ヤコブ3:14‐15)

 原罪を持つ弱い人間ですから、気を付けていないと、ふとした瞬間に肉的な思いに心が捕らわれてしまいます。しかし、神は私たちの弱さをすべて知っていてくださっています。だから、そのような思いに捕らわれたなら、すぐに悔い改めをして、清くしていただき、また新しい一歩を踏み出す。この繰り返しが、クリスチャン生活なのだということを、改めて認識することができました。

                                                         

祈り:愛する天のおとうさま。肉的な思いが私の心の中に宿ることのないよう、聖霊様の満たしを求めます。神の目には清いとされた者として、歩み続けることができますよう、お導きください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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