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2022年6月26日

2022年6月26日 デイボーション

イザヤ書 57章

「義人、誠実な人、砕かれた人、へりくだった人は平安を得る。」

「義人は滅びるが、心に留める者はいない。誠実な人は取り去られるが、気づく者はいない。義人は、わざわいを前にして取り去られる。その人は平安に入り、まっすぐに歩む人は、自分の寝床で休むことができる。」1節、2節

 この箇所を読んでいて、現在の私達の周りで起こっていることに気づかされた。

義人や誠実な人は、貧乏くじを引かされていることにたとえられるのではないだろうか。会社でコツコツ働いている誠実な人が、ある時、だれかの陰謀の濡れ衣を着せられて退職させられてしまう。真実を知っている同僚は心に留めようとせずに、又は、気づこうとさえしないのである。これが、現実の世界である。でも、1節と2節では神の慰めが述べられている。たとえ人々が心に留められなくても、人々が気づかなくても、心に留めてくださる方がおられる。それが、神である。義人はわざわいから取り去られて、平安に入るということである。しかし、神は、悪しき者は荒れ狂う海のようで、鎮まることができず、平安がないと言われているのである。

 私達が日々平安に寝床で休むことができるのは、15節のみことばで語られているそのものではないだろうか。

「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名が聖である方が、こう仰せられる。

「わたしは、高く聖なる所に住み、砕かれた人、へりくだった人とともに住む。へりくだった人たちの霊を生かし、砕かれた人たちの心を生かすためである。」」

 神の前にへりくだり、砕かれた人になったら、高く聖なる所に住まわれておられる神が、

へりくだり、砕かれた人とともに住むと言われるのだ。神の前に、私たちがへりくだり、砕かれた心を明け渡すことである。

「神へのいけにえは 砕かれた霊。打たれ 砕かれた心。神よ あなたはそれを蔑まれません。」詩篇51:17

愛する天の父なる神さま。

私達が日々平安に休むことができるように、常に、あなたの前に、へりくだり、砕かれた心を持つことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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