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2022年1月11日

2022年1月11日 ディボーション

詩篇第五巻 132篇

『ダビデ契約』

 聖書は契約を軸として展開しています。ですから旧い契約を旧約、新しい契約を新約と呼ぶわけですが、この契約の中には、人の方が契約条件を破ったために破棄された契約もあれば、すでに主イエスによって成就された契約もあるし、また永遠に続く契約もあることを覚えておきましょう。

 アダム契約はアダムの罪で終わっていますが、アブラハム契約、ダビデ契約、新しい契約は、取り消すことのない永遠の契約です。

ダビデ契約 11節「主はダビデに誓われた。それは 主が取り消すことのない真実。「あなたの身からでる子を あなたの位に就かせる。」」

 

 ところで、自分もそうでしたが、初めて新約聖書に触れる人は戸惑います。書き出しのマタイの福音書では、何やら判らぬ系図から始まりカタカナの名のオンパレードに当惑する経験ありませんでしたか? 何だこれ?と自分は思いました。 しかしこれは、この世を救う主イエスの系図、始まりが描かれていることを理解しました。そして、それはここにあるダビデ契約、ダビデの子が救い主として世に来たという約束の成就を意味している。 聖書全体を見てみると、旧約聖書の始まりの創世記では、すべての始まり、つまり世の始まり、人の始まり、罪の始まりが記されてあります。そうして創世記に対応するように新約聖書の初めのマタイは、この世の始まりに対して、この世の救い主の誕生を描き、これは実に神のダビデへの誓いが成就していると対比されているのです。でも完全にこの契約が終わったわけではなく、やがて主イエスが再臨される時には、神の王国が主によって確立されます、これがダビデ契約の完成なんですね、なんと神の摂理は奥深く、息が長いことでしょう。

 さて、一言にダビデの子と言うがダビデには多くの妻と息子がいました、実にダビデには19人以上の息子達がいて、どのようにその中から神に選ばれてゆくのでしょう。例えば選ばれなかった者たちの中には、ダビデの妻の中でも、サウロ王の娘、ダビデを愛したミカルは、王女です。しかし、プライドが高かったのか、この詩篇が歌った場面であろう、契約の箱の前を喜びの余り、裸踊りながら入城するダビデを城から見下げて、蔑んだので、その結果、彼女は子宝に恵まれなかった、選ばれていません。もう一人の妻、もとウリアの妻、ダビデは、このバテ シェバとの姦淫の妻の息子が選ばれているのです。しかしながらダビデの罪の為に、彼らの長子は打たれ亡くなっている悲しみも経験しています。その代わり2番目子のソロモンは神を敬う者であったのでが王位をついてやがてこの系図から救い主イエスが誕生するわけです。 

 他にも父であるダビデを倒そうとした息子アブロサムもいました。 これはダビデの信仰を試すための選びだった神の摂理。選ばれなかった者に対し神から選ばれる事は、大いなる喜びであるが同時に患難を伴うのです。 ダビデがそうでしたし、優雅を極めたソロモン王も神の民として選ばれたイスラエル民族の歴史を見ると常に患難の中を通されて信仰を試され続けてきた、やっと国として独立した現在でも、イスラエルの周りは敵対するアラブの国々に囲まれ危険と隣り合わせ、ユダヤの民は神から目を離させないように常に危機の中を通され、鍛えられている。神に選ばれる事は恵みと同時に試練ですね。

 この詩篇に戻ると試練を通ってきたダビデに対し、1節「主よ ダビデのために彼のすべての苦しみを思い出してください。」それに主が答えて、ダビデとの契約 あなたの身からでる子を あなたの位に就かせると約束され、その結果として主イエスがこの世に送られてきた。やがて主イエスが再臨される時に本当に千年王国の王として君臨され、この約束が果たされる。何という壮大な神の摂理なのであろう。

17節「そこにわたしはダビデのために 一つの角を生えさせる。」

 角は力の象徴だがここでは主イエスを指している。ルカの福音書1章69節 「救いの角を私たちのために、しもべダビデの家に立てられた。」と主の誕生に繋がっている。ダビデの子、主なるイエスが永遠の王として君臨される日が必ずやってくる。神の救いの完成が来る。それは神の摂理。主がとり消すことのない真実にハレルーヤ

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