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2020年8月27日

2020年8月27日ディボーション

最終更新: 2020年10月5日

ヨシュア記 22章

語られたこと

13章から始まった各部族ごとの土地の割り当ては、この21章において完了しました。この22章では、ちょっとしたトラブルが記されています。このちょっとした誤解から生じたトラブルは、一つ対応を間違うと同じ民族同士の内戦にまで発展する可能性がありました。

 ヨルダン川の西側の土地を割り当てられた3部族が、自分たちで祭壇を建てたのです。本来祭壇はシロにあるものです。もう一つの別の祭壇を建てることは、別のカミを拝むことを意味し、それは別の国を造ることも意味しているのです。ですから残りの部族が怒るのも無理はありません。

 しかし、3部族が祭壇を建てたのは、そのような意図ではなく、後の世代に信仰を継承するためのものでした。その弁明を聞いて他の部族も納得し内戦は回避されました。

考えたこと

 以前、ニューホープがオアフ島で宣教を始めた時のことでした。その前はハワイ島に教会があったのですが、満を持して準備万端整えて、オアフ島宣教に乗り出したのです。開始当時から、魅力的なリーダー、プロ級のステージングなど、とても魅力的なプログラムが話題を呼びました。すでにオアフ島にある諸教会は、一様に不安にかられたようです。自分たちの教会の信徒がそちらに流れていくのではないかと。

 しかし、ニューホープのリーダーは、諸教会の牧師たちを集めて、何度も説明会を持ったそうです。そして、良い協力関係を持ちながら宣教を開始できたと聞いています。ある教会は、自分たちの教会のスタッフをニューホープに送り出し、宣教を助けたということもありました。

 結果的に、オアフ島全体の宣教は前進したのです。

語られたこと

 ホノルル教会のすぐ近くに、とても魅力的なリーダーと会堂と財力を持ち、なによりも信仰に溢れた勢いのある日本語教会が建てられたなら、私は、それを受け入れ、喜んでサポートすることができるだろうか? 

それとも縄張りを荒らされていると感じて不満を持つだろうか、あるいは信徒がそこに行ってしまったらどうしようと不安に駆られるだろうか。あら探しをして批判するだろうか。

 その時に「神のことを思わないで、人のことを思っていたら」、きっと不安と恐れに悩むでしょう。でも神のことを思う、つまり神の視点から物事を大局的に見るならば、このオアフ島の宣教が進み、一人でも多くの人が救われるのですから、これは神の喜びです。喜びしかありません。

 私は、どんな時でも、神の国の視点を持って、物事を判断していきたいと思わされました。

祈り

天の父よ。どんな出来事が目の前に起こっても、いつも「神のことを思う」自分でありますように導いてください。

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