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2020年8月11日

2020年8月11日ディボーション

最終更新: 2020年10月5日

ヨシュア記4章、5章

 イスラエルの民がヨルダン川を渡って行くところははあの葦の海を渡って行った光景を思い出さずにはおられない。神の御業と憐みに満ちた愛に他ならない。神様はご自身が選ばれたイスラエルの民の為に人智でははかりえないことをされるお方である。

 でも、神の御声に聞き従わなければどんな人にでも容赦しない掟がまっている。あのモーセでさえも岩を二度叩いてしまった為にカナンの地にわたることはできなかった。

 そして、イスラエルの戦士は神の御声に聞き従わずに割礼を受けなかったためにエジプトを出て40年間荒野を歩き周り全員が死に耐えた。

 神様はその恥辱を取り除くために、ヨシュアを通されて息子たちに割礼を受けさせた。神様の御声を優先にしていけば過去の失敗は修復できるということを思わされた。

 私達は感情の生き物、肉の生き物である。神様の為にやっていることが自分の感情のままに働いてしまって、神様の御声を閉ざしてしまいがちである。

 旧約時代は悔い改めて祈るという習慣がほど遠かったのだろうか。新約になって、私達にはイエス様という方が与えられてイエス様を通して父なる神様に悔い改めることができるという幸いを日々感謝せずにはおられない。


 
祈り

愛する天の父なる神様、あなたの尊い御名を心からほめたたえます。

今朝の御言葉を感謝します。

あなたの御言葉をいつも聴きそれに従っていくことができますように導いて下さい。

私達にイエス様をあたえて下さって、日々悔い改めることができる幸いを心から感謝します。 アーメン

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