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2020年12月9日

2020年12月9日ディボーション

サムエル記第二 24章

24:1さて、再び主の怒りがイスラエルに対して燃え上がり、ダビデをそそのかして、彼らに向かわせた。「さあ、イスラエルとユダの人口を数えよ」と。

語られたこと:

主は、ここで再びダビデを試される。主が、ダビデ自身に何を示されようとしたのか、ダビデはその時にわからなかったと思う。家来のヨアブがなぜそのようなことをするのか、不思議に思っているのに、ダビデは気ずかなかった。いや、神に思考を閉ざされたと思う。イスラエルとユダの人口調査が終わった後に、自分の犯した罪を知って、主に自分の咎を取り去って下さいと願う。

 主は、預言者ガドを使って、ダビデに三つの選択をいいわたされた。しかし、ダビデは、その三つの中から選択することは自分には非常に辛い事であるので、主の手に陥らせて下さいと願う。そして、主は、ご自身で三つの中の一つ、三日間の疫病を下されて7万人の民が死んだ。

 さらに主は、み使いを使われて、エルサレムを滅ぼそうとされた。だが、主は、「もう十分だ。手を引け。」と言われて、エルサレムを滅ぼされるのをやめた。

 そこで、ダビデは、民を打っているみ使いをみて、主に向かって言った。

17節、「ご覧ください。この私に罪があるのです。私が悪いことをしたのです。この羊の群れがいったい何をしたでしょうか。どうか、あなたの御手が、私と私の父の家に下りますように。」 と、かなりの勇気を絞って神に懇願したと思う。

 ダビデは、自分の犯した罪の為に多くの民が死んでいくのを見て、耐え難い気持ちだったでしょう。それも神の御計画なのだと思う。主は、ダビデをこれでもかと思わされるほどに試されて、ダビデの真の心の内にあるものを神ご自身に告白することを、待ち望んでおられたと思う。ここで、神は、ダビデの大胆な罪の告白、砕かれた、悔いた真の心をご覧になられて喜ばれたと思う。


 

 このサムエル記第二の24章、最後の章で語られたことは、神は、私達を神の器としてつくり変えられる為に、これでもかと思わされるほどに私達を訓練される。そして、主に、大胆に自分の犯した罪の赦しを願い、悔い改めた真の心を主の前に捧げることである。


 

祈り:


 

 愛する天の父なる神様、御名をほめたたえます。

今日の第二サムエル記の24章、最後の章で、ダビデを通してたくさんのことを語って下さってありがとうございます。私達が試練にあったことは、私達の信仰への成長段階であるということを受け入れることができますようにお導き下さい。感謝して、主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン

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